公開日 2025年7月25日
柏原が実は全国有数の古墳密集地域であることをご存知でしょうか。柏原市東部、東山と呼ばれる生駒山中には小規模な古墳が1400基ほど存在します。
平尾山古墳群と呼ばれるこれら古墳たちは、6世紀前半ごろに平野・大県支群などの山麓付近の尾根に造られ始め、6世紀後半には雁多尾畑(かりんどおばた)支群など山奥へと広がっていきます。
平野・大県支群などが7世紀に古墳の築造をほぼ終えるのに対し、雁多尾畑支群や平尾山支群といった山間の支群では7世紀に入っても古墳の築造が続きます。そして、雁多尾畑支群の最大の特徴として、7世紀後半まで古墳を築造していた場所に8世紀には火葬墓が続けて造られる場所があることが挙げられます。雁多尾畑第49支群と呼ばれるエリアでは、10基の古墳と5基以上の火葬墓が見つかっています。この支群などで古墳が造られる7世紀、古墳時代終末期や飛鳥時代と呼ばれるこの時期には、埋葬の方法などの意識の変化や中央による制約などがあったとみられています。それまでの大きな横穴式石室から小規模な石室への変化、そして火葬墓の登場。更に、副葬品やお供えされる土器も減少していき、まさに古墳時代の終わり、新たな時代の到来を感じさせます。
歴史資料館では、特集展示として雁多尾畑に眠るこれら古墳や火葬墓から見つかった資料を展示していますので、ぜひご覧ください。
▲ 雁多尾畑第49支群の火葬墓(中央の土器が蔵骨器)
(2025年8月号掲載)