【コラム】大和川つけかえと万年長十郎(1)大和川付け替えと万年長十郎

公開日 2025年8月25日

 河内の平野を北もしくは北西に流れていた大和川は、古代から何度も洪水を繰り返していました。江戸時代の初めごろには洪水が激しくなり、宝永元年(1704)に新しい川が造られました。現在の柏原市役所の前で付け替えられ、堺の海へ流れるように人工の川が造られたのです。
 この大和川付け替えについては、大阪の多くの小学4年生が、郷土の歴史として学習しています。その参考となるように、当館では毎年秋季企画展として大和川の付け替えをテーマとした展示を行っています。当館で話を聞き、ビデオを見て、実物資料を見学する。そのあと歩いて30分ほどの付け替え地点周辺を見学するというコースで、例年100校近くの小学校が見学に訪れています。
 今年度のテーマは、「大和川つけかえと万年長十郎」です。付け替えに関わった人物として中甚兵衛が有名ですが、甚兵衛を中心とする付け替えを求める運動がほとんど終息したころに、幕府が急に付け替えを決定していたことがわかっています。その経過については、コラム(2)(3)でみていきますが、付け替え決定に大きく関わったのは、大坂の代官であり、摂津・河内の河川管理を担当する堤奉行を兼ねていた万年長十郎であることはまちがいないと思います。
 万年長十郎については、くわしい史料が残っていません。また、幕府の役人として大和川の付け替え工事を実施したのですから、農民であった中甚兵衛ほど注目されることもないと思います。財政が悪化していた幕府の財政再建のため、幕府の役人として働いていたのですから、職務に忠実であっただけと考えることもできるかもしれません。
 その「万年長十郎」という人物に注目してみたいと思います。幕府の役人として、多くの人の意見を聞きながら関係者との調整を図り、できるだけ負担が少ない方法を考え、そのうえで幕府の増収を図る事業として大和川の付け替えを実施しました。その長十郎の姿に、少しでも迫ってみたいと思います。

(安村)

 

コラム写真

つけかえ前の大和川

【コラム】大和川つけかえと万年長十郎
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