公開日 2025年11月25日
来年2026年は午年です。午(馬)は十二支のなかで、龍と並んで柏原の歴史にたびたび関わってきた動物です。
日本で馬が広まるのは、古墳時代中期、5世紀以降といわれています。それ以降の古墳では、馬に付けていた馬具が副葬品となったり、古墳の周りに並べる埴輪に馬の形をしたものも見られるようになります。市内では、平尾山古墳群で馬具や馬形埴輪を持つ古墳が見つかっています。また、山麓の大県遺跡では馬の骨も見つかっており、この時期には市内にも馬がいたことがわかっています。中世には山間部の雁か りんどおばた多尾畑周辺に坂さかとのまき戸牧という牧場があったといわれています。もしかすると、古墳時代の大県周辺にも牧があったのかもしれません。
また、柏原市に関係する馬の話として、田辺史伯孫(たなべのふひとはくそん)の赤馬伝説もあります。これは、「日本書紀」雄略天皇9年の話として書かれているものです。現在の柏原市田辺付近、当時の飛鳥部郡(あすかべぐん)に住んでいた伯孫が娘の出産のお祝いに古市郡にでかけ、その帰りに誉田陵(こんだりょう)で赤い馬に乗った人に出会い、競争の末赤馬の魅力にひかれ馬を交換してもらったが、帰って夜が明けると馬は土の馬になっていた。びっくりして誉田陵に行くと、馬形埴輪の中に自分の馬が並んでいた。赤馬は誉田陵の馬形埴輪だった、というお話です。不思議なお話ですが、往時の古墳の埴輪の様子などがわかる面白い資料です。
▶平尾山古墳群出土の馬形埴輪
(2025年12月号掲載)