【コラム】赤馬伝説(1)古墳時代の馬

公開日 2026年4月2日

 令和8年(2026)は午年です。日本で馬が飼育されるようになったのは、古墳時代のことです。柏原市域にも古墳時代から馬がいたことがわかっていますが、柏原と馬で、まず連想するのは田辺史伯孫(たなべのふひとはくそん)の「赤馬伝説」です。「赤馬伝説」というタイトルで、平成23年度に企画展も実施していますが、15年前のことであり、図録も完売していることから、10本のコラムで「赤馬伝説」について紹介したいと思います。
 日本では、縄文時代の貝塚から馬の骨が発見された例がいくつかあり、かつては縄文時代から馬がいたと考えられていました。しかし、最近の調査で、これらの馬の多くが古墳時代以降のものであることがわかってきました。『魏志倭人伝』にも、「牛馬虎豹羊鵲無し」と記されています。
最近の調査で、弥生時代ではないかとされる馬骨がいくつかみつかっており、桜井市纏向遺跡では古墳時代前期の鐙が出土しています。しかし、現在確認されているほとんどの馬の骨、馬具が古墳時代中期(5世紀)以降のもので、それ以前に日本に馬がもたらされていたとしてもごくわずかで、定着することはなかったと考えられます。馬の繁殖が軌道にのったのが5世紀ということです。馬は海を渡って朝鮮半島からもたらされました。
 それでは古墳時代の馬とはどんな馬だったのでしょう。これまでに発見されている馬骨から復元される馬の体高は120㎝前後です。体高とは馬の首の付け根までの高さです。現在に残る日本の在来馬の中で、北海道和種、木曽馬、御崎馬などとほぼ同じ大きさで、ポニーよりもやや小さいものです。脚が短く、がっしりした馬は、サラブレッドのように速く走ることはできません。伯孫の馬もこんな馬だったのでしょう。
 朝鮮半島から渡ってきたのは馬だけでなく、馬を飼育する人たちもたくさん渡ってきました。四條畷市周辺からは馬の骨が多数出土し、古墳時代中期から後期にかけて馬が飼育されていたことがわかっています。それらの馬を飼育した人々の中には、のちに「河内馬飼(かわちのうまかい)」と呼ばれる集団もいました。その後、長野県や群馬県などに大きな牧があったことがわかっています。埋葬された馬も発見され、馬を大切にしていたことがわかる例もあります。また、頭部のみ、あるいは頭部のない馬の骨などもみつかっており、馬をめぐる祀りが行われていたことも推定されます。
 古墳時代の馬はとても貴重なもので、誰でもが利用できるようなものではなく、当時の政権との関わりの中で考えるべきものなのです。

(安村)

北海道和種1a 北海道和種 

木曽馬 1b 木曽馬

【コラム】赤馬伝説

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