【コラム】赤馬伝説(2)柏原と馬

公開日 2026年4月9日

 市域では、大県(おおがた)遺跡、大県南遺跡、高井田遺跡などから馬の骨や歯が出土しています。とりわけ大県遺跡周辺では多数の骨・歯が出土しています。鉄滓(てっさい)や鞴羽口(ふいごはぐち)などの鍛冶関連遺物とともに広い範囲から出土していますが、いずれも部分的な骨であり、埋葬したような状況のものはみられません。5世紀後半から7世紀のもので、6世紀後半に集中しています。鉄と馬に、どんな関係があるのでしょうか。
 よく出土するのは歯です。歯は大きく、よく残っています。馬は草食なので、草を磨りつぶしやすいように、上面が大きく平たくなっています。その大きさや磨り減りの程度から、馬の年齢も推定できます。
 四條畷市蔀屋(しとみや)北遺跡からは、一頭の馬を埋葬した墓が発見されています。骨格がほとんど残る貴重なもので、年齢5~6歳、体高124㎝と復元されています。蔀屋北遺跡は古墳時代の牧と推定され、死んだ馬を墓に埋葬することもあったようです。
 古墳の副葬品として乗馬の道具である馬具が出土することがあります。馬の口につける轡(くつわ)や足をかける鐙(あぶみ)、それらをつなぐ革紐を留めるための雲珠(うず)や辻金具、飾りとしての鏡板(かがみいた)や杏葉(ぎょうよう)などがあります。ただ、市域では良好な馬具はあまり出土していません。平尾山古墳群平野・大県第20支群3号墳から、鉄製の円形の鏡板を伴う轡などが出土しています。高井田山古墳や高井田横穴群からも鐙や辻金具の破片などが出土しています。
 また、平尾山古墳群の太平寺支群から高井田支群にかけて十体分以上の馬形埴輪が出土しています。5世紀後半から6世紀前半にかけての埴輪で、全形がわかるものは太平寺第5支群1号墳のものだけです。脚が長く、馬具を伴う埴輪です。
 奈良時代になると、土馬と呼ばれる馬形の土製品が出土しています。雨乞いなどに使用されたのではないかと考えられています。
 馬に乗った騎馬兵は、戦いで大きな力を発揮しました。田辺史伯孫のように乗り物として利用することもあり、大県遺跡出土の馬は荷物を運ぶのにも利用したことでしょう。それらを食することもあったかもしれません。『日本書紀』天武4年(675)の条に、「牛・馬・犬・猿・鶏の宍(肉)を食べてはいけない」とあります。これは、馬などの肉を食べることがあったからこその禁止令でしょう。また、皮をなめすために馬の脳髄を使用したことが知られています。大県遺跡でも脳髄を利用したのでしょうか。
 役に立たないものを「どこの馬の骨ともわからない」といいますが、考古学では馬の骨も貴重な資料なのです。

(安村)

2-馬具の名称

馬具の名称

 

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