公開日 2026年4月30日
話は次のように続きます。
お祝いの席で食事をして酒も飲んで楽しい時間を過ごしたのでしょう。伯孫が帰るころにはすっかり夜になって、月明かりのもとで家に帰ることになりました。そして、蓬蔂丘の誉田陵までやってきたときに、例の赤馬に出会ったのです。「蓬蔂」というと難しいですが、「イチビコ」はイチゴの古名で、イチゴの実る丘、もしくは地名でしょう。現在の羽曳野市誉田付近のことのようです。「誉田陵」は応神陵のことです。現在応神天皇陵に治定されている誉田御廟山古墳のことでしょう。奈良時代初期には、現在の誉田御廟山古墳が応神天皇の御陵だと認識されていたと考えられます。
そこで出会った赤馬は、すばらしい能力をもつ馬でした。そのすばらしさを表現するために、非常に難解な記述が続きます。ここにこそ、田辺史氏の「史」としての豊富な知識や学問的素養を見てとることができます。
そもそも赤馬はただ色の赤い馬ということではありません。古来中国では、「赤兎馬(せきとば)」などと呼ばれ、赤馬は能力の高い馬の象徴でした。『後漢書』「劉焉袁術呂布列伝第六五」に「布は常に良馬を御し、号して赤兎と日う。能(よ)く城を馳せ塹(ほり)を飛ぶ。」とあります。『三国志』や『三国志演義』にも同様な記述があり、後漢の袁紹(えんしょう)のもとで活躍した呂布(ろふ)は、いつも「赤兎」というすばらしい能力をもつ馬に乗っていたということです。赤毛で兎のように素早い馬という意味でしょう。また、西方からもたらされた能力の高い赤毛の馬を「汗血馬(かんけつば)」といい、血の汗をかくと言われました。八重山諸島にも、能力の高いアカンマー(赤馬)の伝説があります。このように、古来から赤馬は能力が高い馬の象徴だったのです。
それだけではなく、赤馬の様子を描いた部分は、『文選(もんぜん)』「赭白馬賦(しゃはくばのふ)」に見られる記述とそっくりなのです。『文選』には「異體峯生、殊相逸發。超攄絶夫塵轍、驅騖迅於滅没。(中略)欻聳擢以鴻驚、時濩略而龍翥。」とあります。『文選』は中国の周から梁までの千年にわたる詩・賦・文章などを収めたものです。奈良時代の官人の試験にもよく出題されたようです。この記述を引用しているあたりに、田辺史氏の豊富な知識を見てとれます。
「驄馬(まだらうま)」は、青白雑色の馬という意味で、マダラな毛をした葦毛の馬のことです。伯孫の馬は、ごく普通の馬だったのです。赤馬と競争をしても勝てるはずはありません。この場面を想像すると、月夜というのも、その演出に一役かっているといえるでしょう。赤馬が飛び跳ねる姿が想像できます。
(安村)
安宿郡の遺跡