【コラム】赤馬伝説(4)赤馬伝説を読み解く1

公開日 2026年4月23日

 「赤馬伝説」と呼ばれる話は、かなりむずかしい文章です。聞きなれない言葉もたくさん出てきます。これを少しずつ読み解いていきましょう。
 『日本書紀』は養老4年(720)に舎人親王(とねりしんのう)によって編さんされました。したがって、この話は雄略天皇のときのこととして記されていますが、実際に書かれたのは奈良時代の初めごろということになります。雄略天皇のころには、まだ天皇という語はなかったので、ここでは雄略と表現することにします。その雄略の没年は、『日本書紀』によると479年、『古事記』によると489年となりますが、確かなことはわかりません。仮に『日本書紀』の479年没とすると、雄略の在位は23年なので、雄略9年は465年ということになります。5世紀後半ごろの話と考えておけばいいでしょう。
 さて、本文に入ります。7月1日は、今の暦では8月上旬と考えられ、夏の一番暑いころに、河内国守から申し出があったとして田辺史伯孫の話が始まります。
 「飛鳥戸(あすかべ)郡」は、奈良時代以降は「安宿郡」と表記され、現在の柏原市南部から羽曳野市駒ヶ谷・飛鳥周辺に相当します。大和川より南、石川より東の範囲です。「飛鳥戸」は「安宿」よりも古い表記と考えられ、柏原市鳥坂寺跡から出土した平瓦に「飛鳥評」の線刻が見られます。
 「郡」は古代の行政区画で「こおり」と読みます。河内国はいくつかの「郡」に分けられ、安宿郡もそのひとつです。「郡」は701年に制定された大宝令に始まり、それまでは「評」と表記され、これも「こおり」と読みます。つまり「飛鳥戸評」の表記のほうが、「安宿郡」よりも古いのです。しかし、その「評」も7世紀中ごろに設置されたと考えられるので、雄略のころには「飛鳥戸郡」はもちろん、「飛鳥戸評」もまだ存在しておらず、これらは『日本書紀』が編纂されたころの知識で書かれていることがわかります。
 田辺史(たなべのふひと)氏については後にくわしく紹介しますが、百済からの渡来系氏族であり、田辺史伯孫は、田辺史氏の祖とされる人物です。「史(ふひと)」は文筆・記録を職とする人たちのことで、渡来系である田辺史氏は、その知識を活かして漢文の解読や文章の作成、中国や朝鮮半島の国々の政治・経済・文化などの紹介や解説にあたっていました。その伯孫の娘が古市郡の書首加竜(ふみのおびとかりょう)という人物のもとに嫁ぎ、子を出産したのでお祝いに出かけたということです。「古市郡」は、現在の羽曳野市古市を中心に、石川左岸の南北に長い範囲と考えられています。書首は、西文(かわちのふみ)氏と呼ばれた河内の有力な渡来系氏族です。ただし、加竜という人物は、ここ以外にはみられません。

(安村)4-安宿(飛鳥戸)郡の位置

 安宿(飛鳥戸)郡の位置

 

【コラム】赤馬伝説

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