【コラム】大和川の流れ~新大和川のルート~ (6)「新川試案絵図」に示された新大和川のルート

公開日 2026年10月8日

更新日 2026年10月22日

 この絵図も、新大和川のルートを示した絵図ですが、上流と下流の2枚が残っているものの2枚はつながらず、間(中流)が抜けています。上流の左辺、下流の右辺には剥がれたあとが確認できるので、もとは中流を含めて1枚の絵図だったのではないかと考えられます。ルートは赤色と黄色のベタ塗りで記入されていますが、黄色のルートが上書きされているので、赤色のルートのほうが先行して検討されたルートであると考えられます。
 まず赤色のルートでは、付け替え地点は舟橋村と国府村の間にあります。この地に付け替え地点を設定したのは、天和3年(1683)の第1ルートのみですが、「大和川違積り図」によると天和3年のルートは川辺村の北を通っているのに南を通っていることと、浅香で南へ湾曲して狭間川を利用していることが異なります。
 黄色のルートでは、舟橋村と柏原村の間で付け替えられ、川辺村・瓜破村の北を通って瓜破台地を北へと迂回するルートです。これは「大和川違積り図」でⅣaとした宝永元年の付け替え計画ルートに一致します。そして、実際の大和川付け替え工事は、黄色のルートで付け替えられ、赤色のルートで瓜破台地を横断しています。この事実を、どのように理解すればいいのでしょうか。
 黄色のルートがⅣaルート、すなわち付け替え計画ルートに一致することから、元禄16年(1703)に新大和川をどこに流すかと検討された際の絵図ではないかと考えられます。元禄16年直近の付け替え検分が天和3年であり、その際の非現実的な第2ルートではなく、第1ルートを基本に、上町台地は狭間川を利用して湾曲させるものとして考えられたのが赤色のルートでしょう。
 しかし、付け替え地点をもう少し北へ移動させ、瓜破台地を迂回するルートとして改めて考えられたのが黄色ルートと考えられます。そしてこのルートが、宝永元年の付け替え計画ルートだったと考えられます。ところが、瓜破台地を北へ迂回したうえで上町台地を南に湾曲させると湾曲が非常に大きくなり、瓜破村の北側堤防の破堤の危険性が高くなります。具体的には、喜連村などの洪水の危険性が高くなると考えられます。そこで工事着手の宝永元年(元禄17年)の2月までに、瓜破台地を横断して直線的な流れとなるルートに変更されて、工事を実施したと考えられます。
 新大和川のルートをどこに設定するか。過去の検分ルートなどを参考にして、慎重に検討されていたことがわかります。

 (安村)

「新川試案図・上流」(当館所蔵中家文書)に加筆。 「新川試案図・上流」(当館所蔵中家文書)に加筆。

「新川試案図・下流」(当館所蔵中家文書)に加筆。 「新川試案図・下流」(当館所蔵中家文書)に加筆。

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