【コラム】大和川の流れ~新大和川のルート~ (7)どこで付け替えるか?

公開日 2026年10月15日

更新日 2026年10月22日

 大和川の付け替え嘆願書では、毎回新大和川のルート案を提示していたようです。そのなかで問題となったのは、付け替え地点をどこにするか、瓜破台地の北を通すか横断するか、上町台地をどこで横断するか、大きくこの3点だったと考えられます。まず付け替え地点について考えてみましょう。
 付け替え地点については、3案ありました。北から、①弓削村と柏原村の境、②柏原村と舟橋村の境、③舟橋村と国府村の境の3案です。
 ①弓削村と柏原村の境付近での付け替えは、万治2年(1659)、初めての嘆願のときだけでした。この案では、平野川のルートを利用することを考えたようですが、北西へ流れて南西へと折れるルートは水の流れにおいて好ましいものではないと考えられます。そして高低差が小さいため十分な勾配がとれないことなどが問題点としてあげられます。
 ②柏原村と舟橋村の間は、寛文11年、延宝4年に検討され、実際の付け替え工事でも、このルートが採用されました。しかし、付け替え反対嘆願書にもみえるように、石川と合流してすぐ直角に近く折れるため、付け替え地点の堤防(築留堤防)への水当たりが大きくなり、破堤の危険性があること、付け替え地点の川幅が300mと広いこと、などが問題点としてあげられます。
 ③舟橋村と国府村の境付近で付け替えようとすれば、大和川を国分から北西へと流し、そこに南から石川を合流させることになります。そこから大乗川の流れを利用して北西へと流す計画です。そのため石川河口も、やや西へ振るような工事が必要になると考えられます。また、この付近は村々の間隔が狭く、既存の村に影響を与えないような工事にすると、十分な川幅を確保できないと考えられます。さらに国府台地の先端を通過するため、一部で台地の掘削が必要となるでしょう。
 以上のように、3案とも問題を抱えていたのです。そのなかで②の案が採用されたのは、柏原村と舟橋村の間には舟橋新家という枝郷があるものの、村と村の間隔は100間(180m)の川幅を十分に確保できること、河口までの勾配を確保できること、掘削土量を少なくできること、などが理由だったと考えられます。そして、築留堤防を強固にし、すぐ南側右岸は二重堤として築留堤防への水当たりを弱めるなどの対策を講じたうえで、この地点での付け替えを決定したのだと考えられます。

 (安村)

付け替え地点の3案

付け替え地点の3案

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