公開日 2015年3月2日
奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。
『万葉集』には、亀の瀬周辺の景色を詠んだ歌が多数みられます。なかでも高橋虫麻呂は、亀の瀬の歌を八首も詠んでいます。その一首をあげると、
我が行きは 七日は過ぎじ 竜田彦 ゆめこの花を 風にな散らし (巻9-1748)
「わたしが、行って帰って来るまでに七日はかからないだろう。龍田大社の神・竜田彦よ、けっしてこの桜の花を風で散らさないでおくれ。」
この歌の前には、「竜田山の滝の上の桜が風で散っているが、下の枝の花はまだ残っている。君が帰って来るまで散らないでおくれ。」という長歌があります。「君」については、聖武天皇という説もありますが、虫麻呂の主人の藤原宇合(ふじわらのうまかい)と考えていいと思います。主人に桜を見せたいというロマンチックな虫麻呂の歌です。
このほかの歌も、桜を詠ったものが多く、亀の瀬周辺が桜の名所だったことがわかります。「滝」というのは、亀の瀬の滝のことでしょう。きっと、人々が目を見張るような美しい景色だったのでしょう。
ところが平安時代になると、『古今和歌集』にみえる在原業平の有名な歌「千早振神代もきかす龍田川 からくれないに水くくるとは」や、『扶桑略記』にみえる菅原道真が詠んだ漢詩「満山紅葉破心機」、藤原道長の漢詩「亀瀬山之嵐 紅葉影脆」など、紅葉を詠んだものばかりになります。どうやら平安時代には亀の瀬は紅葉の名所として知られていたようです。奈良時代から平安時代にどのような変化があったのでしょうか。見る人たちの好みが変わったのでしょうか。それとも亀の瀬の景色が変わったのでしょうか。それとも、たまたまか。
歌や漢詩を残した人の心境を考えながら、亀の瀬の景色を楽しむのもいいのではないでしょうか。
(文責:安村俊史)
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