まちの魅力
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柏原・羽曳野のおすすめルート公開!E-BIKEツアーの新たな試みをご紹介
柏原市・羽曳野市エリアで 大阪観光局がE-BIKEを使った新たな試み 新型コロナウイルス感染症の影響により、今後新たな生活様式に沿った旅行スタイル...(2021年8月1日 にぎわい観光課)柏原市・羽曳野市エリアで
大阪観光局がE-BIKEを使った新たな試み新型コロナウイルス感染症の影響により、今後新たな生活様式に沿った旅行スタイルへの対応が求められている中で、大阪観光局が、柏原市・羽曳野市エリアにおいてE-BIKEを使った実証事業(観光庁公募事業「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成」)を行いました。
実証実験では、着地型観光手段としてスポーツと地域資源を掛け合わせたサイクリングモニターツアー(「ワイン・梅酒街道」を巡るE-BIKEツアー)を実施。
また、サイクリングマップの作成やサイクリングツアーガイド養成講座の実施など、持続発展的なツアー運営に対応する実証実験も行いました。市では、新たな誘客を図る滞在コンテンツのひとつとして、今後も積極的に連携していきます。<NEWS 1>「『ワイン・梅酒街道』を巡るE-BIKEサイクリングツアー」のおすすめルートが公開されました
大阪観光局のウェブサイトで、「『ワイン・梅酒街道』を巡るE-BIKEサイクリングツアー」として、柏原市・羽曳野市のおすすめ周遊ルートが公開されました。ぜひ活用いただき、両市の名所をまわって地域の魅力を再発見してください。
■ウェブサイト「CYCLING OSAKA」(こちらをクリック)
<NEWS 2>サイクリングツアーガイド養成講座を実施しました
サイクリングツアーやサイクリングイベント等で、お客様や参加者をガイドする際の考え方や必要となるスキルについて学ぶ「サイクリングツアーガイド養成講座」を実施しました。ツアーやイベントに際して、どのような準備を行い、そして運営していくのか、さらにリスクを低減し、アクシデントや事故を未然に防ぐにはどうするのか、また起こった場合にどのように対処していくのか、他にもルート設定の考え方について、2日間の講座を通じて考えていくものです。
講義1日目の様子
【1日目】
ワークブックを使用して、服装や装備、自転車の安全点検、交通ルール、リスク管理、ルート造成、緊急対応等の座学があり、その都度ペアと考え、発表を行いました。自転車のトラブルや事故を未然に防ぐため、乗る前に自転車をチェックします。アルファベットの「M」の字に沿って、安全チェックを行うので、「Mチェック」と言います。
「Mチェック」とは、自転車を横から見たときに、5ヶ所の整備ポイント(フロントホイール→ハンドルバー→ボトムブラケット→サドル→リアホイール)を結んだ線がM字に見えることからこのように呼ばれています。
他にも「ABCDチェック」があり、A=空気、B=ブレーキ、C=チェーン、D=ドロップの確認を行いました。講義2日目の様子
【2日目】
実習コースの下見、ガイド実習があり、下見では、ペアとルート上のリスクを確認し、誘導の仕方や時間設定を行いました。ガイド実習では、下見で準備したことが、正しかったのかを検証しました。リード(先頭ガイド)とエンドマーカー(最後尾ガイド)の、実践さながらのガイド実習を行いました。スタート前には、参加者の装備や体調、自転車のチェック、準備運動、コース説明、手信号等の確認を行いました。実習中は、下見で準備したことが発揮できることもありましたが、想定していなかったことが発生したりもしました。また自分の担当区間をガイドした後は、他の受講生からのフィードバックをいただきました。
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柏原市観光PR隊員募集 市では、市の魅力を全国にPRするため、市内外の各種イベントにおいて、広く活動を展開しています。今後更なる市のイメージアップや...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
柏原市観光PR隊員募集
市では、市の魅力を全国にPRするため、市内外の各種イベントにおいて、広く活動を展開しています。今後更なる市のイメージアップやPR活動などにご協力いただけるボランティアを募集します。
応募資格
- 市内居住者
- 18歳以上の明るく元気な方(高校生不可)
- 柏原市をPRする活動に興味と熱意がある方
任期
1年間
募集人数
10名程度
活動内容
- 柏原市PR活動
- 市等が主催するイベント行事
- その他柏原市が認める事業
※土、日、祝、平日にかかわらず、年間20日程度
報酬
なし
応募方法
- 下記の応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入し、履歴書を添えて郵送または持参にて提出してください。
- 未成年者については、親権者の同意が必要です。
応募先
柏原市市民部産業振興課 にぎわい推進係
住 所 :大阪府柏原市安堂町1番55号
電話番号:072-972-1554(直通)選考
- 一次選考:書類選考
- 二次選考:面接による選考
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歴史資産と豊かな自然に恵まれた柏原市。「かしわら」の魅力をより多くの方に知っていただくためにボランティアガイドスタッフの存在は欠かせません。柏原市では、魅...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
歴史資産と豊かな自然に恵まれた柏原市。「かしわら」の魅力をより多くの方に知っていただくためにボランティアガイドスタッフの存在は欠かせません。柏原市では、魅力案内人としての知識や参加者に楽しんでもらうための技術習得を目的として「かしわらボランティアガイド講座」を開講します。
すでにボランティアとして活躍されている方のスキルアップはもちろんのこと、柏原市の魅力を誰かに伝えたいという気持ちのある方のご参加をお待ちしています。
第1回 「効果的なイベントチラシ~魅力ある情報発信」
9月24日(土)フローラルセンター 9時30分~11時30分
講師:関西ウォーカー編集長 篠原賢太郎さん
第2回 「山で見つけた自然素材で作るクラフト~竹細工」
10月1日(土)フローラルセンター 9時30分~11時30分
講師:国分東条町 久米持水さん
第3回 「”真田丸”の舞台をめぐる~後藤又兵衛の視線」
10月8日(土)玉手山公園付近ウオーキング 9時30分~11時30分
講師:柏原おいなーれガイドの会
第4回 「高井田の自然を観察してみよう」
10月15日(土)史跡高井田横穴公園 9時30分~11時30分
講師:かしわら森の会
第5回 「万葉集に詠まれた景勝の地~亀の瀬をめぐる」
10月22日(土)奈良県三郷町~柏原市青谷付近ウオーキング 9時~12時
講師:柏原市立歴史資料館館長 安村俊史
申込方法
講座の10日前までに電話・メールのいずれかで申込み
住所・氏名・電話番号・講座名をお伝えください
柏原市役所 まちの魅力づくり課 ☎092-971-0042
machinomiryoku@city.kashiwara.lg.jp
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柏原市は都会のように騒々しくもなく、田舎のように孤立もしていない。柏原市は自然の風景の美しさと生活の便利さのバランスが...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
柏原市は都会のように騒々しくもなく、田舎のように孤立もしていない。柏原市は自然の風景の美しさと生活の便利さのバランスがうまく取れた街である。今回は柏原市に流れる大和川の紹介をしよう。
大和川は奈良の桜井市の東北部から始まり、奈良県の佐保川、曽我川、葛城川、高田川、竜田川、富雄川などの水を集め、大阪の柏原市で石川と合流し、大阪湾に流れ込んでいる。
明治時代に鉄道が建設される前までは、二人で航行する柏原舟は大阪と柏原の間の商品を運送するメイン手段であった。
もともと柏原舟の港だが、今は児童公園になってしまった。かつての繁栄の様子は現在見ることができない。残念だ。 柏原舟の普及は物流の繁栄を盛り上げた。写真にある三田家住宅は、当時に柏原舟の運航で栄えた商人の家である。昭和44年(1969年)に文化財と認定された。 1704年以前、大和川は現在の様子と大きく異なっていた。当時の大和川は、各支流と合流したときに、たくさんの土砂も一緒に大和川に入ったため川の床がだんだん高くなって、洪水がほぼ毎年発生した。洪水を制御するために、日本史上でも有名な大和川の付け替え工事を行った。 画像は、大和川の付け替えを促進した代表人物の中甚兵衛の像である。彼を記念するために、この新旧の川道の間に立っている。(この立派な姿をマネしました。似ていますか?) 付け替えた大和川は西に方向を変え、海に流れ込む。もともとの川道の水流は弱くなって、生活用水として残された。それは長瀬川と呼ばれている。 築留二番樋(文化庁登録有形文化財) 長瀬川は柏原市から、八尾市、東大阪市を通り、全長約1万4千メートル。大和川の付け替えのおかげで、洪水は無くなり、人間に恵みを与えるだけではなく、魚と水鳥も育った。 工場のそばのかわいい水車 八尾市の二俣付近。長瀬川はここからもう一度、二本に分かれる。左側は長瀬川で右側は玉串川である。 春の河川敷にいっぱいの菜の花、夏の風物詩花火大会、秋風と共に揺れるススキの穂、冬の雪に飾られた白い世界。
付け替えされた大和川は四季折々の風景があります。ぜひ自分の目で見ませんか。
大和川を付け替える前の様子はもう誰も知らない。そして、今の長瀬川は、優しく細い川しか見られない。長瀬川から西へ50メートルぐらい離れたところにある、玉串川との分岐のところに、道が盛り上がったところがあるが、それが元の大和川の堤防だと教えてもらった。
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柏原市案内マップについて 柏原市案内マップをデータでご覧いただくには、下記からダウンロードいただきますようお願いします。 案内マップダウンロ...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
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E-BIKEおすすめルート<外部サイト> 柏原市の取り組み 定番おでかけスポット 交通マナー...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
おすすめ・お役立ち情報
イベント情報
【終了】信貴山サイクルロゲイニング2021
【終了】メモリアルシクロクロス柏原
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このページでは、柏原市が撮影した風景などの写真画像・動画を自由にダウンロードしていただけます。 「日本遺産柏原市」PR用フリー素材とは 「日本...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
このページでは、柏原市が撮影した風景などの写真画像・動画を自由にダウンロードしていただけます。
「日本遺産柏原市」PR用フリー素材とは
「日本遺産柏原市」に関する写真画像を紹介しており、全て無料でダウンロードできます。個人でダウンロードして楽しむほか、名刺やチラシの画像、商品の画像など柏原市のPRやイメージ向上につながるようなものに対してご利用ください。ただし、以下「使用上の注意」を遵守の上、柏原市のイメージを損ねるような用途への使用はご遠慮ください。
使用上の注意
写真画像は無料でダウンロードできますが、全ての著作権は柏原市に帰属します。使用に際しては、次のことを遵守してください。
- 使用用途は、個人利用、商用利用ともに可能です。ただし、写真集や素材のみを製品としたDVDなど、写真画像そのものの商品化やそのまま複製したものを販売・頒布・貸借・貸与することは禁じます。
- 公序良俗に反するもの、その他非合法とみなされる制作物への使用は禁じます。
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- 本条項のいずれかに違反した場合、柏原市はいつでも使用を差し止めることができるものとします。
免責事項
柏原市は、市ウェブサイトが提供する写真画像を利用して生じた、いかなるトラブルに関しても保証やサポートは行いません。
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柏原市フリー素材集
亀の瀬
亀石
旧大阪鉄道亀瀬隧道
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玉手山物語 玉手山古墳群 安福寺横穴群 ...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
玉手山物語
玉手山と大坂夏の陣
1.総 説
慶長19年(1614)の大坂冬の陣、翌・慶長20年(1615)の夏の陣と、2度にわたって豊臣氏と徳川氏の最終決戦が行われた。ここ玉手山は、夏の陣の戦端が開かれた地であり、豊臣方の先陣・後藤又兵衛基次が、徳川方の大軍を迎え撃って討ち死にした地でもある。
戦いは、要衝「小松山」の争奪をめぐって行われた。小松山とは、現在、市立老人福祉センター「やすらぎの園」が建っているあたりで、市立玉手山公園を始め、片山から玉手、円明にかけての一帯が戦場となった。
玉手山公園内など、付近一帯には、又兵衛基次の碑を始めとして、両軍戦死者供養塔や戦跡碑、徳川方の武将の墓などが残されている。2.大坂冬の陣への序曲
慶長3年(1598)、太閤・豊臣秀吉、没。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長8年(1603)に征夷大将軍の宣下を受け、天下の実権をほぼ手中におさめた。他方、秀吉の遺児、豊臣秀頼は、関ヶ原の戦いの後、摂河泉(現在の大阪府の全域と兵庫県の一部)65万7千石の一大名に転落した。
しかし、天下の名城・大坂城にあって莫大な金銀を貯える秀頼は、家康にとって、依然、あなどりがたい存在であった。そこで、家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた。その中の一つが京都東山・方広寺大仏殿の再建工事である。
当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など。
方広寺大仏殿は、慶長17年(1612)に完成。同19年には大仏の鐘も完成したが、家康は、このとき鋳造された鐘銘の中に「国家安康、君臣豊楽」とあるのに、いいがかりをつけ、豊臣氏を挑発した。すなわち、「家康」の名を「国安」で切って家康を呪っている、
「君臣豊楽」とは、豊臣を主君として楽しむの意味だ、というわけである。
この一件の弁明のため、片桐且元が家康のもとに向かったが、この且元が豊臣氏から裏切り者の汚名をかぶせられ大坂城から退けられるに至って、ついに両者の戦いは避けられない情勢となった。
かくして、勃発したのが、大坂冬の陣である。
玉手山公園内の後藤又兵衛しだれ桜と後藤又兵衛基次の碑3.大坂冬の陣の戦闘経過
冬の陣は、主として、篭城戦で戦われた。豊臣方の兵力は約10万、徳川方の兵力は約20万(一説には約30万)といわれる。
慶長19年(1614)10月23日、徳川家康、軍勢を率いて京に入る。
10月26日、藤堂高虎、家康の命を受け、河内国府に本陣をおく。
11月 3日、高虎、枚方方面から南下した松平忠明らと呼応、平野口から住吉に進撃。
11月 5日、豊臣方の薄田兼相、平野口に出撃。徳川方の来襲をきき、急ぎ大坂城に入る。
11月 6日、高虎、浅野長晟、住吉に布陣。松平忠継、有馬豊氏、中島に布陣。加藤明成、神崎から北中島に進撃。
11月15日、家康、二条城を進発、奈良に至る。徳川秀忠(将軍、家康の嫡男)、伏見から枚方に到着。
11月17日、家康、住吉に布陣。秀忠、平野口に至る。
11月19日、秀忠、住吉の家康本陣に到着。軍議の後、攻城の準備を終える。
11月25日、家康、大坂城の堀の水をからすため、淀川に春日井堤を築くべく、伊奈忠政に工事の監督を命じる。
佐竹義宣、上杉景勝、豊臣方の鴫野、今福の砦を占領。
野田、福島も徳川方の手に落ちる。家康、このころから和議交渉を始める。
11月29日、徳川方の蜂須賀至鎮、石川忠総ら、阿波座、土佐座を攻略。
12月 2日、家康、茶臼山に本陣を進める。以後、大坂城の攻防が続く。
12月16日~19日、家康、約300門の大砲で大坂城を砲撃させる。
12月22日、和議成立。4.大坂夏の陣の勃発
和議の条件として、徳川家康、秀忠から豊臣氏に、次の5カ条の誓紙が出された。
1 大坂城に篭城した浪人達の罪は問わない。
2 秀頼の知行は、以前のとおりとする。
3 淀君(秀頼の母)は、江戸に下る必要はない。
4 秀頼が大坂を立ち退くというなら、どこへ行こうと望みしだいである。
5 家康、秀忠は、秀頼に対して、いささかも不信行為はしない。
そして、和議の条件として、大坂城の外堀と内堀は埋め立てられ、二の丸と三の丸も破壊されて、大坂城は本丸だけの「はだか城」とされた。しかし、和議は、豊臣氏に味方した、立身出世や仕官を望む浪人達にとっては失業を意味した。このため、大坂城内では、しだいに再戦を望む声が高まって行き、埋め立てられた堀の復旧工事などが開始された。
これを知った家康は、先の誓紙をひるがえし、豊臣氏に対して、「城中の浪人をすべて追放するか、豊臣氏は大坂城を出て伊勢か大和へ移れ」との要求をつきつけた。
ここに至って豊臣氏の怒りは爆発、ついに再戦が決せられた。夏の陣の勃発である。しかし、本丸だけの「はだか城」では、冬の陣のときのように篭城戦法に頼るわけにはいかない。そこで、豊臣氏は、徳川氏に野戦を挑むこととした。5.大坂夏の陣の戦闘経過
夏の陣の主戦場は、河内であった。豊臣方約5万、徳川方約15万5千といわれる。
慶長20年(1615)4月28日、豊臣方の大野治房ら、泉南の樫井で徳川方の浅野長晟らと合戦。豊臣方の塙団右衛門、討ち死に。豊臣方は、治房の報告により、徳川方が、河内街道からだけでなく奈良街道からも進撃して来ることを知る。
5月1日、豊臣方の後藤基次、薄田兼相ら平野に出陣。真田幸村ら天王寺に布陣。
5月5日、家康、京を進発。秀忠、伏見を進発。徳川方の先陣・藤堂高虎、河内千塚に布陣。井伊直孝、楽音寺に布陣。水野勝成、河内国分に布陣。徳川方の本多忠政、松平忠明、伊達政宗らの諸隊も河内に到着。伊達隊の先鋒・片倉重綱、片山に布陣。
5月6日、後藤基次、小松山で徳川方の諸隊と激突して、討ち死に。小松山の戦い。薄田兼相、道明寺河原の戦いで討ち死に。豊臣方の残兵、藤井寺・誉田森へ退却。豊臣方の木村重成、佐久間忠頼らの諸将、八尾・若江で相次いで討ち死に。豊臣方の真田幸村、毛利勝久ら大坂城に退却。
5月7日、真田幸村、家康の本陣に突入して討ち死に。徳川方も本多忠朝、小笠原秀政ら討ち死に。
5月8日、大坂城落城。秀頼、淀君らは自害。豊臣氏、滅亡。一説によると、毛利勝永が秀頼の介錯をつとめ、その後に自害したという。
5月8日、天晴 巳刻に至り大坂城落つ、秀頼公、同御袋、そのほか女中20人ばかり自害の由也、打ち死にの衆2万ばかりの由也、(中略) その夜、もってのほか雨降る。(梵舜日記)6.両軍の作戦
徳川方は、紀伊方面からの部隊のほか、本隊と別働隊の2隊に分かれて大坂城を目指した。家康、秀忠以下約12万の本隊は生駒山麓西側の高野街道を進む河内路を、伊達政宗ら約3万5千の別働隊は奈良・法隆寺方面から河内に入る大和路をとった。
道明寺方面で合流し、その後に平野、住吉方面から大坂城に攻め上ろうとの作戦である。
これを知った豊臣方では、徳川方が合流する前に機先を制して各個撃破する、との方針を立てた。木村長門守重成(約4千7百)と長宗我部宮内少輔盛親(約5千)が高野街道を南下する徳川方本隊を八尾・若江で側面から攻撃し、後藤又兵衛基次(約2千8百)、薄田隼人正兼相(約4百)、真田左衛門尉幸村(約3千)、毛利勝永(約3千)らは、国分の狭路を通って河内に入って来ようとする別働隊を迎え撃とうというのである。
大坂城に守備兵力のほか約1万の予備兵力を配置し、八尾、国分、紀伊の3方面で徳川方を迎え撃つ。勝機のつかめそうな方面に予備兵力を投入して徳川方に打撃を与え、兵力差をできるだけ縮めて後、全兵力を大坂城に戻して態勢を整え最終決戦にのぞむ、というのが、豊臣方の戦略であった。
しかし、豊臣方の動きは、忍者からの報告などにより徳川方に筒抜けであったのに対し、豊臣方では今ひとつ情報収集力に欠けるところがあった。そのうえ、諸隊の動きが統一性を欠くなど、いくつかの問題点をかかえていた。7.小松山の戦い(国分・道明寺の戦い)
5月1日、後藤又兵衛基次、薄田隼人正兼相ら平野に到着。真田幸村、毛利勝永ら天王寺に布陣。
5月5日、幸村らは、基次と会合、6日を期して道明寺で合流し、国分において徳川方を迎え撃つことを約した。
同日夜、基次は、約2千8百の軍勢を率いて平野を進発。奈良街道を東進し、6日未明、藤井寺に到着した。しかし、濃霧のため、他の諸隊は、予定どおり到着できなかった。しかも、基次ら豊臣方の動きは、すでに徳川方の知るところであったという。
このため、基次は単独で道明寺に進出したが、このときすでに徳川方は国分に入ってしまっていた。そこで、基次は、後続の諸隊を待つことなく、先鋒の山田外記、古沢満興に命じて、石川を渡り、当初の作戦どおり、小松山を占領させた。
山田外記の旗幟が山上に立ったのを見た基次は、急ぎ本隊を小松山に登らせた。
午前4時ごろ、後藤隊の先頭は、山を下って徳川方の諸隊と激突、攻め登って来る徳川方とのあいだで、小松山の争奪をめぐって激しい戦闘が繰り広げられた。しかし、徳川方は、水野勝成隊(約3千8百)、本多忠政隊(約5千)、松平忠明隊(約3千8百)、伊達政宗隊(約1万)の合計2万3千もの兵力。初めは優勢だった後藤隊も衆寡敵せず、しだいに圧倒されて三方から包囲された形になり、基次は討ち死に、後藤隊も壊滅してしまった。時に6日午前10時ごろ、激闘実に6時間であった。
基次の討ち死にの原因は、「矢きずを負って」とも「鉄砲に胸を撃たれて」ともいわれている。負傷した後に自害した。吉村武右衛門が介錯したという。
徳川方でも奥田三郎右衛門忠次、山田十郎兵衛らが討ち死にしている。
「軍兵大勢討死。大坂方は猶もって大勢打死。この三村(円明村、玉手村、片山村)の地、あき間もなきほど死体ありける」(河内鑑名所記、延宝7年・1679著者は柏原の人、三田浄久)薄田兼相、明石掃部、真田幸村、毛利勝永らの諸隊は、基次討ち死にの後、道明寺に到着。薄田隊は、総くずれとなって、兼相は討ち死に。明石隊は、徳川方の攻撃を防ぎつつ後退。毛利隊は、敗走して来た将兵を収容して撤退。真田隊は、味方諸隊の撤退援護のため誉田村に前進、伊達隊の攻撃を撃退し敗走させたものの、八尾・若江方面の戦いで木村隊が壊滅したとの報告を受け、大坂城へ撤退した。
八尾・若江方面の戦いでの木村重成の討ち死にと木村隊、長宗我部隊の壊滅は、6日昼すぎのことであった。濃霧の中での遭遇戦で、徳川方の藤堂高虎、井伊直孝らの隊も大きな損害を出した。現在、玉手山公園内に「後藤又兵衛基次の碑」、「吉村武右衛門の碑」、「両軍戦死者供養塔」、「後藤又兵衛しだれ桜」(平成12年2月植樹)が、周辺には「大坂夏の陣古戦場碑」、「後藤又兵衛奮戦の地碑」、「奥田三郎右衛門の墓」、「山田十郎兵衛の墓」などがある。
参考文献
「柏原市史」第3巻 (柏原市 1972年3月)
「かしわらの史跡」 (重田堅一、柏原市 1992年3月)
「図説再見大阪城」 (渡辺武、(財)大阪都市協会 1983年9月)
「歴史群像シリーズ40 大坂の陣」(学習研究社 1994年12月)
「歴史群像」No41所載「決戦!大坂の陣」(河合秀郎)(学習研究社 2000年2月) -
【2月1日配信開始】無料バーチャル謎解きツアー「龍姫と風神さまの失くしもの」
おうちでちょっぴり観光気分♪ 柏原市・三郷町を舞台にしたバーチャル謎解きツアーを開催します 大阪府柏原市、奈良県三郷町では、両市...(2021年8月1日 にぎわい観光課)おうちでちょっぴり観光気分♪
柏原市・三郷町を舞台にしたバーチャル謎解きツアーを開催します大阪府柏原市、奈良県三郷町では、両市町をつなぐ日本遺産・龍田古道を中心に地域の魅力向上を目指して、バーチャルとリアルを融合させた3幸(観幸・健幸・振幸)プロジェクトに取り組んでいます。
このたび、コロナ禍においても両市町を知って、楽しんでいただけるツールとして、龍田古道周辺を舞台にしたスマホ上のバーチャル謎解きツアー「龍姫と風神さまの失くしもの」をつくりました。2月1日から無料で配信します。
見どころのひとつが、現地をドローンで空撮した映像。ウェブ上のバーチャル空間ならではの新たな試みとして、歩きでは体験できない非日常的な視点からも市町の魅力・見どころを発信しながら、新しい感覚で観光気分を味わってもらえるものにしました。
バーチャル謎解きツアータイトル
「龍姫と風神さまの失くしもの」
■ストーリー
柏原市と奈良県三郷町の府県境にあり、日本遺産に認定された『龍田古道』。
幼い龍姫は一人前になるために、友達の風の使いとこの古道のどこかにあるという秘宝「風袋」を探しに出ることになったが・・・実施期間
令和3年2月1日(月)から令和3年3月31日(水)まで
参加費
無料
参加方法
参加には、無料通信アプリ「LINE」を使用します(パソコン、スマホともに可能)。指定のURLを開くか、「@takarush」でID検索して友達登録を行っていただき、「龍姫」と入力いただくとゲームが始まります。
ゲーム内では、謎を解きながらヒントを得られる場所として、両市町に実在する名所や飲食店等が登場します。
散りばめられた謎を解いて、主人公・龍姫の宝探しを助けてください!■下のURLからツアーページに移動できます
https://www.takarush.jp/promo/sankoproject2021/
特典
全ての謎を解き見事宝箱を見つけた参加者には、ツアーに登場した各店舗で実際に使えるお得なクーポンをゲットできるほか、dポイント等の特典があります!