まちの魅力
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柏原市の魅力をより多くの方に発信し、「柏原市ってどんな街だろう」、「柏原市に行ってみたい」と思っていただくため、市と共に観光振興や魅力発信にご協力いただ...(2021年9月9日 にぎわい観光課)
柏原市の魅力をより多くの方に発信し、「柏原市ってどんな街だろう」、「柏原市に行ってみたい」と思っていただくため、市と共に観光振興や魅力発信にご協力いただける店舗や事業者を市内外問わず募集します。令和2年6月に「龍田古道・亀の瀬」が日本遺産に認定され、誘客に繋がるような様々なプロモーションを今後実施していく予定です。下記内容でご興味のある店舗や事業者の方は、にぎわい観光課まで是非ご連絡ください。
現在、募集中の協力内容(令和3年9月9日更新)
・日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推奨商品の開発・販売
・観光ポスターの掲示(ポスターの種類はコチラをご覧ください。)
・観光ガイドブック、チラシ等の配架
・上記以外で店舗や会社独自で実施できること(是非ご提案ください!)
今後、募集予定している協力内容
今後下記の内容も決まり次第、募集していく予定ですので、是非ご協力ください。
例)観光土産品作り・販売、観光客に対して店舗トイレの一時利用、ロケ撮影の撮影協力依頼、観光企画でのプレゼント提供など
お申込み先
にぎわい観光課 電 話 072-940ー6165
メール kanko@city.kashiwara.lg.jp
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公共施設のネーミングライツ・パートナー決定 愛称は「オーエンス」 柏原市では、新たな財源を確保し、健全な財政運営と良好な施設環境を安定的に提供...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
公共施設のネーミングライツ・パートナー決定 愛称は「オーエンス」
柏原市では、新たな財源を確保し、健全な財政運営と良好な施設環境を安定的に提供することを目的に、ネーミングライツパートナーの募集を行い、「株式会社オーエンス」から応募があり、選定委員会で審査を行い契約交渉を経て契約を締結しました。
契約の概要
1.対象施設
(1)柏原市立体育館 柏原市玉手町25番80号
(2)柏原市立第二体育館 柏原市安堂町9番20号
(3)柏原市立青谷運動場 柏原市大字青谷130番地の11
2.愛称
(1)柏原市立体育館 ⇒ 柏原オーエンスアリーナ
(2)柏原市立第二体育館 ⇒ 柏原オーエンス第二アリーナ
(3)柏原市立青谷運動場 ⇒ 柏原青谷オーエンスフィールド
3.パートナーメリット
施設に愛称を付けることができるほか、市が発行するパンフレットやホームページ等に愛称を掲載します。( 施設の看板の変更等については、パートナーの別途費用負担により可能です。)
4.契約金額及び契約期間
契約金額は各施設年額30万円(税別)で、平成26年4月1日から平成31年3月31日まで (5年間)
5.施設名称について
柏原市の条例で定められている正式な施設名を変更するものではありません
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平成28年1月24日に開催した「大阪府柏原市手土産コンテスト」で最終審査(実食審査)に出品された【アイデア部門】のレシピです。 みなさん、ぜひ作ってみて...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
平成28年1月24日に開催した「大阪府柏原市手土産コンテスト」で最終審査(実食審査)に出品された【アイデア部門】のレシピです。
みなさん、ぜひ作ってみてください!柏原ハイカラまんじゅう
「年配の方からお子様まで喜んでいただける!」をコンセプトにして考えました。柏原市はぶどうが有名ですが、みかんも名産であると知り、
もっとたくさんの方に知ってほしい!食べてほしい!と思い、2種類のセットにしました。※写真はぶどう味です。
材料(5個分)
薄力粉 75g
ベーキングパウダー 1.5g
コンデンスミルク 50g
卵黄 10g
牛乳 適量【ぶどう味】
☆白餡 50g
☆クリームチーズ 30g
☆刻んだレーズン 適量
ぶどうジャム 適量【みかん味】
★白餡 80g
★オレンジピール 適量
マーマレード 適量作り方
1 コンデンスミルクと卵黄を混ぜ、薄力粉、ベーキングパウダーをふるって混ぜる ※生地が硬い場合は牛乳を加える
2 冷蔵庫で冷やし、5つに切り分けて薄く伸ばす
3 餡(☆または★をよく混ぜ合わせたもの)とジャムを包む
4 160℃に余熱したオーブンで15分~20分焼き上げる ※焼く前に霧吹きで水をかけてもOKです大和牛肉のぶどう煮~梅ビーフを使って~
THE 柏原食材と共に
材料(5~6人分)
梅ビーフのすね肉 500g
赤ワインビネガー 50cc
赤ワイン辛口 75cc
赤ワイン甘口 75cc
塩 10g
黒あらびき胡椒 5g
ぶどう又はレーズン 30g
デミグラスソース 100g
バター 20g
砂糖 10g
玉葱 100g
じゃがいも 100g
人参 50g
菜の花(なければ法蓮草) 50g作り方
1 牛肉を3cm角にカットし、ビネガー(酢)、ワイン(赤)で1時間漬込む
2 1をひきあげ、水分を切り、塩・コショウし、炒める
3 玉葱・じゃがいも・人参を好みの大きさにカットし、塩・コショウし、炒める
4 2と3をぶどう入りのデミグラスソースに入れ、煮込む
5 時折あくを丁寧に取り、仕上がり次第、バターで調味し、塩・コショウ・砂糖などで再調味するぶどうづくしのあん巻き
甘酸っぱいぶどう味、ぶどう色を出してみました。
餡は、ぶどう色がよく出るように白餡を使用しています。是非食べてみてください。材料(20個分)
手亡いんげん豆 200g
水 500ml
☆ぶどうジュース 100ml
☆さとうきび糖 70g
☆和三盆糖 30g
白玉粉 20g
ぶどうジュース 300ml
小麦粉 90g
和三盆糖 60g作り方
1 手亡いんげん豆は一晩水につけて戻しておく
2 1回茹でこぼした手亡いんげん豆と水を圧力鍋に入れ、高圧で10分煮る
3 茹で汁を捨て、☆を加えてしっかりと水分を飛ばす
4 2の餡を小分けにする(25g×約20個)
5 ボウルに白玉粉、ぶどうジュースを入れて混ぜる
6 小麦粉と和三盆糖を入れて更に混ぜる
7 生地をザルで漉して、フライパンで焼く
8 両面が焼けたら、生地の粗熱を取って2の餡を巻く柏原ワインに合う!まるでチーズ!紫色のぶどう豆腐の味噌漬け
ワインの製造にあたり、ぶどうの絞りかすがたくさん出ると聞いたことがあり、何かに使えないかなと考えていました。
動脈硬化や脳梗塞を防ぐ抗酸化作用、ホルモン促進作用のあるポリフェノール。
女性には抗酸化、抗菌により活性酸素の働きを抑え、美肌効果があるポリフェノール。
ワインと一緒に食べるとダブルポリフェノールです。
濃ーい紫の豆腐や、紫茶色の味噌漬けはインパクトありです。味噌漬けの見た目や触感はチーズのよう、味も美味しいはずです。材料
成分無調整豆乳 800ml
にがり 20ml
赤ワイン 400ml
☆味噌 110g
☆みりん 大さじ3
☆砂糖 大さじ7
☆酒 30ml
☆塩 5g作り方
1 赤ワインを50mlほどになるまで煮詰める(冷めるとどろっとした感じ) ※レンジ可
2 豆乳を鍋に入れ、80℃まで温める
3 温まったら火を止め、煮詰めた赤ワインを入れ、泡立てないように混ぜる(少しムラあり)
4 ゆっくり混ぜながら、「にがり」を少しずつ加える
5 ダマがたくさんできた状態で20分ほど放置
6 豆腐型にガーゼを敷き、豆乳を漉す
7 落し蓋をして、軽めの重石をのせて1時間以上水切りを行う
8 ☆の材料を全て混ぜ合わせ、水切りした豆腐を崩れないように味噌を塗り付け、ガーゼやキッチンペーパーで包み、その上からラップで包む
9 タッパーに入れ、冷蔵庫で5日以上寝かせる手土産コンテストの結果について
1月24日(日)、リビエールホールにおいて、「大阪府柏原市手土産コンテスト」の実食審査が行われました。
一般審査員の他、特別審査員として玉手山学園理事長や関西ウォーカー編集長、タレントの「宇都宮まき」さんなど各方面から11人が応募作品に舌鼓をうち、柏原市の「手土産」にふさわしいと思う作品に投票し、各賞が決定しました!
コンテストの結果はここをクリック! -
玉手山物語 玉手山古墳群 安福寺横穴群 ...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
玉手山物語
玉手山と大坂夏の陣
1.総 説
慶長19年(1614)の大坂冬の陣、翌・慶長20年(1615)の夏の陣と、2度にわたって豊臣氏と徳川氏の最終決戦が行われた。ここ玉手山は、夏の陣の戦端が開かれた地であり、豊臣方の先陣・後藤又兵衛基次が、徳川方の大軍を迎え撃って討ち死にした地でもある。
戦いは、要衝「小松山」の争奪をめぐって行われた。小松山とは、現在、市立老人福祉センター「やすらぎの園」が建っているあたりで、市立玉手山公園を始め、片山から玉手、円明にかけての一帯が戦場となった。
玉手山公園内など、付近一帯には、又兵衛基次の碑を始めとして、両軍戦死者供養塔や戦跡碑、徳川方の武将の墓などが残されている。2.大坂冬の陣への序曲
慶長3年(1598)、太閤・豊臣秀吉、没。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長8年(1603)に征夷大将軍の宣下を受け、天下の実権をほぼ手中におさめた。他方、秀吉の遺児、豊臣秀頼は、関ヶ原の戦いの後、摂河泉(現在の大阪府の全域と兵庫県の一部)65万7千石の一大名に転落した。
しかし、天下の名城・大坂城にあって莫大な金銀を貯える秀頼は、家康にとって、依然、あなどりがたい存在であった。そこで、家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた。その中の一つが京都東山・方広寺大仏殿の再建工事である。
当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など。
方広寺大仏殿は、慶長17年(1612)に完成。同19年には大仏の鐘も完成したが、家康は、このとき鋳造された鐘銘の中に「国家安康、君臣豊楽」とあるのに、いいがかりをつけ、豊臣氏を挑発した。すなわち、「家康」の名を「国安」で切って家康を呪っている、
「君臣豊楽」とは、豊臣を主君として楽しむの意味だ、というわけである。
この一件の弁明のため、片桐且元が家康のもとに向かったが、この且元が豊臣氏から裏切り者の汚名をかぶせられ大坂城から退けられるに至って、ついに両者の戦いは避けられない情勢となった。
かくして、勃発したのが、大坂冬の陣である。
玉手山公園内の後藤又兵衛しだれ桜と後藤又兵衛基次の碑3.大坂冬の陣の戦闘経過
冬の陣は、主として、篭城戦で戦われた。豊臣方の兵力は約10万、徳川方の兵力は約20万(一説には約30万)といわれる。
慶長19年(1614)10月23日、徳川家康、軍勢を率いて京に入る。
10月26日、藤堂高虎、家康の命を受け、河内国府に本陣をおく。
11月 3日、高虎、枚方方面から南下した松平忠明らと呼応、平野口から住吉に進撃。
11月 5日、豊臣方の薄田兼相、平野口に出撃。徳川方の来襲をきき、急ぎ大坂城に入る。
11月 6日、高虎、浅野長晟、住吉に布陣。松平忠継、有馬豊氏、中島に布陣。加藤明成、神崎から北中島に進撃。
11月15日、家康、二条城を進発、奈良に至る。徳川秀忠(将軍、家康の嫡男)、伏見から枚方に到着。
11月17日、家康、住吉に布陣。秀忠、平野口に至る。
11月19日、秀忠、住吉の家康本陣に到着。軍議の後、攻城の準備を終える。
11月25日、家康、大坂城の堀の水をからすため、淀川に春日井堤を築くべく、伊奈忠政に工事の監督を命じる。
佐竹義宣、上杉景勝、豊臣方の鴫野、今福の砦を占領。
野田、福島も徳川方の手に落ちる。家康、このころから和議交渉を始める。
11月29日、徳川方の蜂須賀至鎮、石川忠総ら、阿波座、土佐座を攻略。
12月 2日、家康、茶臼山に本陣を進める。以後、大坂城の攻防が続く。
12月16日~19日、家康、約300門の大砲で大坂城を砲撃させる。
12月22日、和議成立。4.大坂夏の陣の勃発
和議の条件として、徳川家康、秀忠から豊臣氏に、次の5カ条の誓紙が出された。
1 大坂城に篭城した浪人達の罪は問わない。
2 秀頼の知行は、以前のとおりとする。
3 淀君(秀頼の母)は、江戸に下る必要はない。
4 秀頼が大坂を立ち退くというなら、どこへ行こうと望みしだいである。
5 家康、秀忠は、秀頼に対して、いささかも不信行為はしない。
そして、和議の条件として、大坂城の外堀と内堀は埋め立てられ、二の丸と三の丸も破壊されて、大坂城は本丸だけの「はだか城」とされた。しかし、和議は、豊臣氏に味方した、立身出世や仕官を望む浪人達にとっては失業を意味した。このため、大坂城内では、しだいに再戦を望む声が高まって行き、埋め立てられた堀の復旧工事などが開始された。
これを知った家康は、先の誓紙をひるがえし、豊臣氏に対して、「城中の浪人をすべて追放するか、豊臣氏は大坂城を出て伊勢か大和へ移れ」との要求をつきつけた。
ここに至って豊臣氏の怒りは爆発、ついに再戦が決せられた。夏の陣の勃発である。しかし、本丸だけの「はだか城」では、冬の陣のときのように篭城戦法に頼るわけにはいかない。そこで、豊臣氏は、徳川氏に野戦を挑むこととした。5.大坂夏の陣の戦闘経過
夏の陣の主戦場は、河内であった。豊臣方約5万、徳川方約15万5千といわれる。
慶長20年(1615)4月28日、豊臣方の大野治房ら、泉南の樫井で徳川方の浅野長晟らと合戦。豊臣方の塙団右衛門、討ち死に。豊臣方は、治房の報告により、徳川方が、河内街道からだけでなく奈良街道からも進撃して来ることを知る。
5月1日、豊臣方の後藤基次、薄田兼相ら平野に出陣。真田幸村ら天王寺に布陣。
5月5日、家康、京を進発。秀忠、伏見を進発。徳川方の先陣・藤堂高虎、河内千塚に布陣。井伊直孝、楽音寺に布陣。水野勝成、河内国分に布陣。徳川方の本多忠政、松平忠明、伊達政宗らの諸隊も河内に到着。伊達隊の先鋒・片倉重綱、片山に布陣。
5月6日、後藤基次、小松山で徳川方の諸隊と激突して、討ち死に。小松山の戦い。薄田兼相、道明寺河原の戦いで討ち死に。豊臣方の残兵、藤井寺・誉田森へ退却。豊臣方の木村重成、佐久間忠頼らの諸将、八尾・若江で相次いで討ち死に。豊臣方の真田幸村、毛利勝久ら大坂城に退却。
5月7日、真田幸村、家康の本陣に突入して討ち死に。徳川方も本多忠朝、小笠原秀政ら討ち死に。
5月8日、大坂城落城。秀頼、淀君らは自害。豊臣氏、滅亡。一説によると、毛利勝永が秀頼の介錯をつとめ、その後に自害したという。
5月8日、天晴 巳刻に至り大坂城落つ、秀頼公、同御袋、そのほか女中20人ばかり自害の由也、打ち死にの衆2万ばかりの由也、(中略) その夜、もってのほか雨降る。(梵舜日記)6.両軍の作戦
徳川方は、紀伊方面からの部隊のほか、本隊と別働隊の2隊に分かれて大坂城を目指した。家康、秀忠以下約12万の本隊は生駒山麓西側の高野街道を進む河内路を、伊達政宗ら約3万5千の別働隊は奈良・法隆寺方面から河内に入る大和路をとった。
道明寺方面で合流し、その後に平野、住吉方面から大坂城に攻め上ろうとの作戦である。
これを知った豊臣方では、徳川方が合流する前に機先を制して各個撃破する、との方針を立てた。木村長門守重成(約4千7百)と長宗我部宮内少輔盛親(約5千)が高野街道を南下する徳川方本隊を八尾・若江で側面から攻撃し、後藤又兵衛基次(約2千8百)、薄田隼人正兼相(約4百)、真田左衛門尉幸村(約3千)、毛利勝永(約3千)らは、国分の狭路を通って河内に入って来ようとする別働隊を迎え撃とうというのである。
大坂城に守備兵力のほか約1万の予備兵力を配置し、八尾、国分、紀伊の3方面で徳川方を迎え撃つ。勝機のつかめそうな方面に予備兵力を投入して徳川方に打撃を与え、兵力差をできるだけ縮めて後、全兵力を大坂城に戻して態勢を整え最終決戦にのぞむ、というのが、豊臣方の戦略であった。
しかし、豊臣方の動きは、忍者からの報告などにより徳川方に筒抜けであったのに対し、豊臣方では今ひとつ情報収集力に欠けるところがあった。そのうえ、諸隊の動きが統一性を欠くなど、いくつかの問題点をかかえていた。7.小松山の戦い(国分・道明寺の戦い)
5月1日、後藤又兵衛基次、薄田隼人正兼相ら平野に到着。真田幸村、毛利勝永ら天王寺に布陣。
5月5日、幸村らは、基次と会合、6日を期して道明寺で合流し、国分において徳川方を迎え撃つことを約した。
同日夜、基次は、約2千8百の軍勢を率いて平野を進発。奈良街道を東進し、6日未明、藤井寺に到着した。しかし、濃霧のため、他の諸隊は、予定どおり到着できなかった。しかも、基次ら豊臣方の動きは、すでに徳川方の知るところであったという。
このため、基次は単独で道明寺に進出したが、このときすでに徳川方は国分に入ってしまっていた。そこで、基次は、後続の諸隊を待つことなく、先鋒の山田外記、古沢満興に命じて、石川を渡り、当初の作戦どおり、小松山を占領させた。
山田外記の旗幟が山上に立ったのを見た基次は、急ぎ本隊を小松山に登らせた。
午前4時ごろ、後藤隊の先頭は、山を下って徳川方の諸隊と激突、攻め登って来る徳川方とのあいだで、小松山の争奪をめぐって激しい戦闘が繰り広げられた。しかし、徳川方は、水野勝成隊(約3千8百)、本多忠政隊(約5千)、松平忠明隊(約3千8百)、伊達政宗隊(約1万)の合計2万3千もの兵力。初めは優勢だった後藤隊も衆寡敵せず、しだいに圧倒されて三方から包囲された形になり、基次は討ち死に、後藤隊も壊滅してしまった。時に6日午前10時ごろ、激闘実に6時間であった。
基次の討ち死にの原因は、「矢きずを負って」とも「鉄砲に胸を撃たれて」ともいわれている。負傷した後に自害した。吉村武右衛門が介錯したという。
徳川方でも奥田三郎右衛門忠次、山田十郎兵衛らが討ち死にしている。
「軍兵大勢討死。大坂方は猶もって大勢打死。この三村(円明村、玉手村、片山村)の地、あき間もなきほど死体ありける」(河内鑑名所記、延宝7年・1679著者は柏原の人、三田浄久)薄田兼相、明石掃部、真田幸村、毛利勝永らの諸隊は、基次討ち死にの後、道明寺に到着。薄田隊は、総くずれとなって、兼相は討ち死に。明石隊は、徳川方の攻撃を防ぎつつ後退。毛利隊は、敗走して来た将兵を収容して撤退。真田隊は、味方諸隊の撤退援護のため誉田村に前進、伊達隊の攻撃を撃退し敗走させたものの、八尾・若江方面の戦いで木村隊が壊滅したとの報告を受け、大坂城へ撤退した。
八尾・若江方面の戦いでの木村重成の討ち死にと木村隊、長宗我部隊の壊滅は、6日昼すぎのことであった。濃霧の中での遭遇戦で、徳川方の藤堂高虎、井伊直孝らの隊も大きな損害を出した。現在、玉手山公園内に「後藤又兵衛基次の碑」、「吉村武右衛門の碑」、「両軍戦死者供養塔」、「後藤又兵衛しだれ桜」(平成12年2月植樹)が、周辺には「大坂夏の陣古戦場碑」、「後藤又兵衛奮戦の地碑」、「奥田三郎右衛門の墓」、「山田十郎兵衛の墓」などがある。
参考文献
「柏原市史」第3巻 (柏原市 1972年3月)
「かしわらの史跡」 (重田堅一、柏原市 1992年3月)
「図説再見大阪城」 (渡辺武、(財)大阪都市協会 1983年9月)
「歴史群像シリーズ40 大坂の陣」(学習研究社 1994年12月)
「歴史群像」No41所載「決戦!大坂の陣」(河合秀郎)(学習研究社 2000年2月) -
E-BIKEおすすめルート<外部サイト> 柏原市の取り組み 定番おでかけスポット 交通マナー...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
おすすめ・お役立ち情報
イベント情報
【終了】信貴山サイクルロゲイニング2021
【終了】メモリアルシクロクロス柏原
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柏原市案内マップについて 柏原市案内マップをデータでご覧いただくには、下記からダウンロードいただきますようお願いします。 案内マップダウンロ...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
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柏原市観光PR隊員募集 市では、市の魅力を全国にPRするため、市内外の各種イベントにおいて、広く活動を展開しています。今後更なる市のイメージアップや...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
柏原市観光PR隊員募集
市では、市の魅力を全国にPRするため、市内外の各種イベントにおいて、広く活動を展開しています。今後更なる市のイメージアップやPR活動などにご協力いただけるボランティアを募集します。
応募資格
- 市内居住者
- 18歳以上の明るく元気な方(高校生不可)
- 柏原市をPRする活動に興味と熱意がある方
任期
1年間
募集人数
10名程度
活動内容
- 柏原市PR活動
- 市等が主催するイベント行事
- その他柏原市が認める事業
※土、日、祝、平日にかかわらず、年間20日程度
報酬
なし
応募方法
- 下記の応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入し、履歴書を添えて郵送または持参にて提出してください。
- 未成年者については、親権者の同意が必要です。
応募先
柏原市市民部産業振興課 にぎわい推進係
住 所 :大阪府柏原市安堂町1番55号
電話番号:072-972-1554(直通)選考
- 一次選考:書類選考
- 二次選考:面接による選考
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柏原市公認 柏原の新名物「手土産」の製造・販売事業者を募集します!
柏原市のPRと産業振興を目的に、柏原市をイメージした手土産を募集、審査、表彰する「大阪府柏原市 手土産コンテスト」を2016年に開催しました。 このコン...(2021年8月1日 にぎわい観光課)柏原市のPRと産業振興を目的に、柏原市をイメージした手土産を募集、審査、表彰する「大阪府柏原市 手土産コンテスト」を2016年に開催しました。
このコンテストのアイデア部門において優秀作品(受賞作品)に選ばれたアイデアレシピを、新たな“柏原の手土産”として商品化するため、商品化していただける事業所様を募集いたします。
柏原市の新しい手土産を、貴社(店)で製造・販売してみませんか。◆ メリット
・「大阪府柏原市 手土産コンテスト」優秀作品(受賞作品)として販売していただけます。
・市の広報誌・ウェブサイト・SNS等へ掲載、報道機関へPRを行います。
・柏原市が主催又は参加する各種イベントにおいて販売・PRするほか、様々な場面で活用させていただきます。◆ 募集条件
・柏原市内に事業所(本社・支社・工場・店舗など)が立地していること。(立地の予定を含む)
・レシピ、ネーミングは各社である程度アレンジ可能です。(一部制限あり)
・価格、賞味期限、パッケージデザインなどは各社にお任せします。但し、POP等の店内表示には「大阪府柏原市 手土産コンテスト」の受賞作品であることを明示してください。
・柏原市は、製造・販売にかかる一切の経費負担をいたしません。
・柏原市は、製造・販売にかかる一切の責任を負いません。
・製造・販売の承認は、第三者へ譲渡できません。
・柏原市が不適当と認めた場合、承認を取り消すことがございます。◆ 申請書について
別紙申請書(様式第1号)を持参又は郵送にてご提出ください。
※商品化には、申請が必要となります。
製造・販売申請書 製造・販売事業所募集要項◆ 問い合わせ、申請書送付先
柏原市 まちの魅力づくり課 担当: 山角、吉田、南
〒582-8555 大阪府柏原市安堂町1-55
TEL 072-971-0042 FAX 072-971-5089
メール machinomiryoku@city.kashiwara.osaka.jp -
柏原市夕焼けフォトコンテスト結果発表 去る2月25日、柏原市役所にて5人の審査員により審査が行われました。 このコンテストは、多くの人に美しい柏...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
柏原市夕焼けフォトコンテスト結果発表
去る2月25日、柏原市役所にて5人の審査員により審査が行われました。
このコンテストは、多くの人に美しい柏原の夕焼けを見つけていただき、まちのPRに活かすもので、国際ソロプチミスト大阪-柏原及びリビエールホールからの協賛・協力をいただきました。
応募総数は、一般の部87点、こどもの部10点で最優秀賞をはじめ入選作品については次のとおりです。入選者については3月15日(土)リビエールホールにて授賞式を行い、入選作品は4月5日(土)までリビエールホールにて展示しています。
今後、これらの作品は広報誌や市の啓発のために活用いたします。なお、これらの作品の著作権は本市に帰属しますので、許可無く使用することはできません。
【審査結果】 <敬称略>
・一般の部
最優秀賞 長谷川博士 「夕影」 ソロプチミスト賞 吉井健一 「大和川燃ゆ」 市長賞 手塚由起子 「夕陽に染まった大和川」 入賞 森 栄子 「黄昏どき」
濱西一三 「大和川SUNSET」
田村安夫 「夕刻」
寺西健太 「帰り道」
岸本克己 「落日」
安川忠興 「マラソン」
坂口真一 「ワインに染まる街」
小川 勉 「夕映え」
一般の部最優秀賞 「夕影」
ソロプチミスト賞 「大和川燃ゆ」
市長賞 「夕陽に染まった大和川」・こどもの部
最優秀賞 吉井亜美佳 「夕焼けとお兄ちやんの背中 ソロプチミスト賞 伊藤壮良 「市役所前の夕焼け」 入賞 山本七海 「美しい夕焼け」
浅井裕行 「北へ向かう電車と夕焼け」
西島由夏 「反映」
伊藤綾音 「家から見たふしぎな色の夕焼け」
こどもの部最優秀賞 「夕焼けとお兄ちゃんの背中」
ソロプチミスト賞 「市役所前の夕焼け」
平成26年3月15日 表彰者集合写真
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サンヒル柏原 テニスコートがリニューアル!! この施設は、平成25年度スポーツ振興くじ助成金を受けて整備し...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
サンヒル柏原
テニスコートがリニューアル!!この施設は、平成25年度スポーツ振興くじ助成金を受けて整備したものです。
オムニコートを全天候型・競技用ハードコートに改修(4面)、夜間照明施設(5面)を改修しました。
テニスコート4面が国際基準(USオープン仕様)のハードコートに生まれ変わりました。
お申込・お問合せは、サンヒル柏原ホームページをご覧下さい。