まちの魅力
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三郷町とともに申請した「もう、すべらせない!!~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~」と、和歌山県などとともに申請した「「葛城修験」-里人とともに守り...(2021年12月17日 文化財課)
三郷町とともに申請した「もう、すべらせない!!~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~」と、和歌山県などとともに申請した「「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」が日本遺産に認定されました。
日本遺産は「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリー」を文化庁が認定するもので、「ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取り組みを支援する」制度です。平成27年度にはじまり、文化庁は令和元年度までに83件を日本遺産に認定してきました。ただ無制限に認定するわけではなく、東京オリンピック・パラリンピック開催までに、およそ100件を認定するということで、今年度が最後の年にあたります。そうしたなか、新たに21件の日本遺産が誕生し、そのうち冒頭で紹介した2件が、柏原市に関係のある日本遺産です。
「もう、すべらせない!!~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~」は、三郷町から柏原市へのびる「龍田古道」とともに、その道のなかで地すべりが繰り返されてきた難所「亀の瀬」をテーマにしたストーリーです。「龍田古道」は、古代において奈良の都と大阪を結ぶ重要な道であり、関連する龍田山、龍田越えは、万葉歌に登場するなど当時の心情を映すキーワードでもありました。そうしたキーワードになった理由に、龍田古道からの風景の美しさ、眺望の良さなどもありますが、亀の瀬近くの峠付近が「恐(かしこ)の坂」とも呼ばれていたように、地すべりの危険や恐怖と隣り合わせの道でもあったからでしょう。三郷町にある龍田大社は、風の神を祀ることで有名ですが、龍田古道や亀の瀬での安全祈願とも結び付いた信仰の拠点といえます。こうした歴史的な背景と、現在も亀の瀬で続く地すべり対策工事ともあわせて、自然の驚異と寄り添う暮らしは、まさに日本ならではのストーリーといえるのではないでしょうか。
「「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」は、和歌山県を代表自治体とし、和歌山県では和歌山市、橋本市、紀の川市、岩出市、かつらぎ町、大阪府では岸和田市、泉佐野市、河内長野市、和泉市、柏原市、阪南市、岬町、河南町、千早赤阪村、奈良県では五條市、御所市、香芝市、葛城市、王寺町など、各府県・市町村が申請したストーリーです。修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が初めて修業を積んだのが、和歌山~大阪~奈良にそびえる葛城の峰々といわれています。その峰々には、法華経を1品ずつ埋納したとされる28箇所の経塚があり、和歌山市の友ヶ島を起点に峰を東に進み、その最終地が「亀の瀬」とされています。かつては亀の瀬にある亀岩の横に宝筐印塔が並んで建っていたということですが、亀の瀬の南にある明神山を最終地とする記録もあるなど、不明な点もあります。現在では、亀の瀬にある竜王社を最終地として修行者が訪れています。いずれにせよ亀の瀬は、葛城山系の北端にあたることから、修業の終着点としてふさわしい場所といえるでしょう。
今回の日本遺産認定では、図らずも「亀の瀬」が2つの日本遺産の構成要素に含まれるという快挙となりました。歴史的な文化財が豊富な柏原市ですが、新たに加わった2つの日本遺産も含めて、三郷町や和歌山県などとも連携しながら、文化財の活用の幅をさらに広げていきたいと思います。

2つの日本遺産の構成要素となった「亀の瀬」(中央にあるのが亀岩)
資料館TOP
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【柏原市まちめぐりモデルコース】ぶどうの町コース(おすすめスポット探訪と大阪平野展望)
<このルートをおすすめしてくれた人> ペンネーム「KASHIWARA大好き」さん <このルートをおすすめする理由とメッセージ> ・観音谷展望...(2021年12月13日 にぎわい観光課)<このルートをおすすめしてくれた人>
ペンネーム「KASHIWARA大好き」さん<このルートをおすすめする理由とメッセージ>
・観音谷展望台公園からの大阪平野を一望できる眺望は圧巻です。
・石神社の「クスノキの大木」は一見の価値ありです。
・秋の「ぶどう」のシーズンにはコース途中に数件の観光ぶどう園が開園しますので、「ぶどう狩り」を楽しめます。
・大阪市内から30分ほどで訪れることができる「素敵な柏原市」を散策してください。<ルート/所要時間約90分>
- 近鉄柏原南口駅
- 大和川治水記念公園
- 築留二番樋
- 歴史の丘展望台公園
- 石神社・智識寺跡
- 清浄泉(浄井戸)
- 安明寺・円林寺
- 観音寺
- 観音谷展望台公園
- ぶどう棚の小道
- 観光ぶどう園
- 天照皇大神宮遙拝所
- カタシモワイナリー
- 太平寺地区の町並み
- 石神社
- (旧)国道170号の西側通路
アップダウンを気にすることなく、安全に徒歩で散策できるルートです。8月中旬~10月中旬はぶどう狩りを楽しむこともでき、短時間で無理なく、柏原市の魅力を実感していただけるコースです。
01近鉄柏原南口駅
【おすすめポイント】
・近鉄柏原南口駅は大阪では珍しい、風情のある無人駅です
・近鉄道明寺線は単線です!
・近鉄安堂駅からのスタートも可能です
▼(徒歩5分)
02大和川治水記念公園
【おすすめポイント】
・「大和川の付替え記念碑」と「中甚兵衛像」があります
・大和川と石川の合流地点が展望できます
・広大な芝生の公園「大和川河川敷緑地公園」はすぐ近くです※ランチスポット「大和川河川敷緑地公園」


▼(徒歩2分)
03築留二番樋
【おすすめポイント】
・「築留二番樋」は文化庁登録有形文化財となっています
▼(徒歩10分)
04歴史の丘展望台公園
【おすすめポイント】
・ここから歴史街道「業平道」に入ります
・歴史の丘展望台公園からは、大阪平野が一望できます※ランチスポット「歴史の丘展望台公園」


▼(徒歩5分)
05石神社・智識寺跡
【おすすめポイント】
・石神社のクスは一見の価値あり
・鳥居をくぐって石の階段を上って本殿を参拝
・智識寺の東塔の礎石があります
・公衆トイレがあります

▼(徒歩3分)
06清浄泉(浄井戸)
【おすすめポイント】
・生駒山系から湧き出た湧き水があり、素敵な休憩スポット
・弘法大師の伝説があります
・私の幼少期(○十年前)は「手漕ぎポンプ」でした
▼(徒歩3分)
07安明寺・円林寺
【おすすめポイント】
・太平寺地区の風情ある町並みにあるお寺
・安明寺には坊守(ぼうもり)さんが描かれた「ぶどうの天井画」があります
・安明寺は"お西さん"、円林寺は”お東さん”です。東西の宗派が隣接しているのは珍しい?

▼(徒歩6分)
08観音寺
【おすすめポイント】
・桜並木の石段があり、桜の時期はとても綺麗です
・観音寺は「ヘチマ祈願」で有名な寺です
・ここまで来ると一気に眺望が開けます
▼(徒歩5分)
09観音谷展望台公園
【おすすめポイント】
・大阪平野の全景を眺望できる一押しスポットです
・とにかく綺麗なので、絶対に訪れてください※ランチスポット「観音谷展望台公園」

▼(徒歩3分)
10ぶどう棚の小道
【おすすめポイント】
・ぶどう棚の下を散策するのは最高です
・当然、ぶどうの時期に訪れることをお勧めします
▼(徒歩15分)
11観光ぶどう園
【おすすめポイント】
・周辺にはぶどうの時期(8月中頃~10月中頃)には「ぶどう狩り」の農園が開園していますので、ぜひこの時期に来てください
▼(徒歩13分)
12天照皇大神宮遙拝所
【おすすめポイント】
・石柱の孔は伊勢神宮の方向に向いていて、ここで参拝すると伊勢神宮を参拝したことと同じになるといわれています

▼(徒歩7分)
13カタシモワイナリー
【おすすめポイント】
・古民家を改装した「カタシモワイナリーズ ミュージアム カフェ&バー」があります。お洒落な空間で休憩!
▼(徒歩1分)
14太平寺地区の町並み
【おすすめポイント】
・太平寺地区の情緒ある町並みを散策してください
▼(徒歩5分)
15石神社
【おすすめポイント】
・散策の終盤に石神社を再訪問です
・帰り際に振りかえって、石神社のクスの全景を見てください、感動ですヨ!
▼(徒歩10分)
16(旧)国道170号の西側通路
【おすすめポイント】
・歩きやすく安全な(旧)国道170号の西側通路を通って近鉄安堂駅に!
・近鉄柏原南口駅をゴールとしてもOKです。(安堂駅から7分程度)


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デザインマンホールをご存じですか? 全国各地の自治体に設置され、その地域の特産品やゆかりのあるデザインなどが採用され、コレクションカードとして「マン...(2021年12月8日 下水工務課)
デザインマンホールをご存じですか?
全国各地の自治体に設置され、その地域の特産品やゆかりのあるデザインなどが採用され、コレクションカードとして「マンホールカード」も話題です。
一般のマンホールには着色がされていませんが、柏原市内にあるデザインマンホール蓋には柏原市の特産物である『柏原ぶどう』が描かれています。柏原ぶどうの主な品種として、デラウェア、マスカットベリーA、シャインマスカット、ピオーネがあります。この度、シャインマスカットをモデルとし、背景にはぶどう畑に夕日がさし、夕焼け色に染まることをイメージした『シャインマスカットバージョン』のマンホール蓋(現在あるデザインマンホール蓋の色違いもの)を作成しました。そのデザインマンホール蓋を本庁の正面玄関にて展示しています。ご来庁の際にご覧ください。その他、本庁駐車場の北側にも設置していますので、ぜひ一度探してみてくださいね。
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このまちに詰まった、ヒト・コト・モノの魅力。 地域の皆さんの声をもとにつないだ、モデルコースをご紹介します。 煉瓦で造った土木遺産・有...(2021年10月25日 にぎわい観光課)
このまちに詰まった、ヒト・コト・モノの魅力。
地域の皆さんの声をもとにつないだ、モデルコースをご紹介します。 -
【柏原市まちめぐりモデルコース】国分エリアで映え&レトロな写真を撮影!フォトスポットコース
<ルート/所要時間約3時間> 河内国分駅 tant-tant 市立玉手山公園 ふれあいパーク 安福寺 手作りケーキSach...(2021年10月25日 にぎわい観光課)<ルート/所要時間約3時間>
★ダイジェスト動画を見てみよう!こちらをクリック
写真好きなかたにおすすめのコースです。玉手山遊園地の名残がある公園でレトロな写真を撮ったり、歴史深い日本庭園で美しい景色を撮影したりと、コンパクトなコースの中でいろいろなパターンの撮影を楽しめますよ。
01河内国分駅
出発♪近鉄大阪線河内国分駅は、難波から(鶴橋駅経由/急行利用)約25分でアクセスできます。
▼(徒歩約1分)
02tant-tant
お昼ご飯を買ってから、玉手山公園に向かいましょう。手作りのおいしいお惣菜やお弁当に新鮮な農産物も販売されている駅前のtant-tantさんでは、気さくな店員さんがおすすめ商品を教えてくれますよ。
▼(徒歩約20分)
03市立玉手山公園 ふれあいパーク
かつての玉手山遊園地の名残をはしばしに感じられる公園に到着。ゲートをくぐると、早速楽しい顔出しパネル撮影しましょう。観客席のあるステージで撮った動画や写真を投稿すれば、友達はあっと驚くかも。坂を上って展望台に着いたら、世界遺産の古市古墳群を見物しながら、お昼ご飯の時間です。園内はアップダウンがあるので、スニーカーがおすすめです。
▼(徒歩約5分)
04安福寺
現実の浮世から一転して、静寂の世界へ。安福寺は、天平年間に行基が創建し、江戸時代には珂憶上人(かおくしょうにん)によって再興されたと伝わるお寺で、聖徳太子の棺の一部だと考えられる漆塗りの板(夾紵棺/きょうちょかん)が所蔵されていることでも有名です。参道で横穴を間近で見られるのもここならでは。美しい日本庭園を撮影したあとは、住職のありがたいお話もいかがですか。

▼(徒歩約20分)
05手作りケーキSacha
お土産にも、ぜひ映えるスイーツを。カラフルなアイシングクッキーは、SNSでたくさんの「いいね」がもらえそうな予感です。近隣の特産物を使用したケーキや、地場産品を使ったオリジナルスイーツにも出会えます。
▼(徒歩約5分)
06河内国分駅
駅に到着。撮影した写真はぜひ、「#柏原市」「#かし笑」をつけてSNSに投稿してくださいね。
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【柏原市まちめぐりモデルコース】自転車でGO!アクティブコース(3時間)
<ルート/所要時間約3時間> JR柏原駅 てぬぐいCHILL 大和川河川敷 天湯川田神社 柏原大食堂 ※2023年6月に閉...(2021年10月25日 にぎわい観光課)<ルート/所要時間約3時間>
★ダイジェスト動画を見てみよう!こちらをクリック
JR柏原駅から出発し、自転車で大和川河川敷沿いを気持ちよく走りませんか。自然豊かな柏原市の景色と歴史を楽しみつつ、伝統文化である染め物の魅力を知って、最後は懐かしさの残るまちの銭湯へ。体力的に負担なく気軽にサイクリングできるコースです。
01JR柏原駅
スタート!自転車をお持ちのかたは、運転マナーに気をつけて。自転車をお持ちでないかたは、駅前でレンタサイクルを借りましょう。柏原市のプチ旅が始まります。
※写真で乗っている自転車は、レンタサイクルの自転車と異なります。
▼(自転車約5分)
02てぬぐいCHILL
柏原市に伝わる注染(ちゅうせん)の技術を用いて、一枚ずつ丁寧に染められた手ぬぐいを制作・販売しているお店。レトロな店内には色とりどりの手ぬぐいがたくさん並んでいて、きっとお気に入りの一枚に出会えます。汗をぬぐうのに、ぜひ1枚。お土産にも喜ばれます。
▼(自転車約5分)
03大和川河川敷
大和川沿いを、のんびりサイクリング。晴れた日に風をきって川沿いを走れば、気分爽快です。住民の皆さんが散歩やランニングしている姿にほっこりしたり、ときどき立ち止まって、ゆったりした川の流れを眺めてみたりするのも良いでしょう。
▼(自転車約5分)
04天湯川田神社
奈良時代に孝謙天皇が巡拝した河内六寺の1つである鳥坂寺の塔跡に鎮座しています。日本書紀でも鳥にゆかりの深いとされる神社の境内には、2羽の白鳥がつくるハートのかたちが。お参りすると、恋愛成就するかも?
▼(自転車約10分)
05柏原大食堂 ※2023年6月に閉鎖いたしました。
坂を上ると、広々としたレストランに到着。電動自転車ならラクラク、普通の自転車ならちょっと気合を入れていきましょう。ここは、柏原市街の全景と、大和川や夕陽を一緒に撮影できるスポットです。ゆったりとした店内で飲食できるほか、「ビーフカツサンド」のテイクアウトも人気です。元気をチャージして、もうひとっ走りいきましょう。
▼(自転車約5分)
06かしわらテラス
2021年に完成した柏原市役所の2階には、一般開放されているテラスがあります。電車好き、古墳好きのかたにはうれしいロケーションです。休憩がてら立ち寄ってみてください。
▼(自転車約10分)
07太平寺の町並み
情緒ある石畳が続く景観に、かつて歌人・在原業平が高安通いの際に通ったとされる業平道や、智識寺跡、清浄泉などの歴史的遺産が存在する太平寺地区を訪ねてみましょう。地区の北東にあり、いまなおぶどう畑が広がる「せせらぎ水路」を散策するのもおすすめです。
▼(自転車約5分)
08中央温泉
サイクリングを楽しんだあと、まちの銭湯で気持ちよく汗を流して、すっきりしましょう。持っていくのは、はじめに購入した手ぬぐいだけでOKです。
▼(自転車約5分)
09JR柏原駅
レンタサイクルを借りたかたは、返却して今日のプチ旅は終了です。
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【荻田美夏さん@ほのぼのかたしも】 2013年に東大阪市から移住された荻田さんに、 お子さんと毎週通うという「ほのぼのかたしも」で...(2021年9月14日 秘書広報課)


【荻田美夏さん@ほのぼのかたしも】
2013年に東大阪市から移住された荻田さんに、
お子さんと毎週通うという「ほのぼのかたしも」でお話しを聞きました。

夫の実家が柏原にあり、結婚を機に引っ越してきました。
もともとは東大阪市に住んでいたのですが、八尾市の高校に通っていたので、
柏原にも友人が多くて、当時毎日のように遊びに来ていたので不安はありませんでした。

しばらくは夫の実家でお世話になっていたんですけど、
ご近所同士がとても仲が良くて、わたしも子どもたちも、
「こんにちは~」って近所の方の家に気兼ねなく上がらせてもらっていました。
皆さんとても親切で、子どもたちにおもちゃをくれたり、ドレスを貸してくれたり。
はじめから優しく受け入れてくれました。それから今のマンションに住むようになって、
今でもいろんな人が、フレンドリーに話しかけてくれます。
公園でたまたまお話ししていた方が、実は同じマンションだったということもありました。
この前も、子どもと一緒に自転車で出かけていて、傘が車輪に引っかかってしまったとき、
隣りの家の方がすぐに出てきて助けてくださって、
地域のいろんな人たちに支えられているんだなと感じています。

ほのぼのかたしもには、ほぼ毎週来ています。
子どもたちが「アンパンマンのすべり台に乗りたい」と言って、夫が連れて来ることもあります。
他市では、施設が少なくてどこに遊びに連れて行っていいのか分からない場合もあると聞きますが、
こんなふうに子どもが遊べる子育て施設が多いのが、柏原の良いところだと思います。
それに、いろいろな施設で子ども向けのイベントがあるので、
毎月広報誌を見て行けそうなイベントをチェックして、参加しています。
もちろん、自然が多いのも気に入っています。
近くの大和川河川敷や、「信貴山のどか村」に味覚狩りにもよく行きますよ。
実はいま、新しい家を探しているところなんです。
不動産屋さんに相談しに行くと、「5組待ち」と言われて、
諦めようかと他のまちも見に行ってみたんですけど、
夫の両親のそばに住みたいですし、やっぱり柏原がいいなぁって。
だから少し時間はかかるかもしれないけれど、柏原で探そうと思っています。 -
柏原市の魅力をより多くの方に発信し、「柏原市ってどんな街だろう」、「柏原市に行ってみたい」と思っていただくため、市と共に観光振興や魅力発信にご協力いただ...(2021年9月9日 にぎわい観光課)
柏原市の魅力をより多くの方に発信し、「柏原市ってどんな街だろう」、「柏原市に行ってみたい」と思っていただくため、市と共に観光振興や魅力発信にご協力いただける店舗や事業者を市内外問わず募集します。令和2年6月に「龍田古道・亀の瀬」が日本遺産に認定され、誘客に繋がるような様々なプロモーションを今後実施していく予定です。下記内容でご興味のある店舗や事業者の方は、にぎわい観光課まで是非ご連絡ください。
現在、募集中の協力内容(令和3年9月9日更新)
・日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推奨商品の開発・販売
・観光ポスターの掲示(ポスターの種類はコチラをご覧ください。)
・観光ガイドブック、チラシ等の配架
・上記以外で店舗や会社独自で実施できること(是非ご提案ください!)
今後、募集予定している協力内容
今後下記の内容も決まり次第、募集していく予定ですので、是非ご協力ください。
例)観光土産品作り・販売、観光客に対して店舗トイレの一時利用、ロケ撮影の撮影協力依頼、観光企画でのプレゼント提供など
お申込み先
にぎわい観光課 電 話 072-940ー6165
メール kanko@city.kashiwara.lg.jp
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玉手山物語 玉手山古墳群 安福寺横穴群 ...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
玉手山物語
玉手山と大坂夏の陣
1.総 説
慶長19年(1614)の大坂冬の陣、翌・慶長20年(1615)の夏の陣と、2度にわたって豊臣氏と徳川氏の最終決戦が行われた。ここ玉手山は、夏の陣の戦端が開かれた地であり、豊臣方の先陣・後藤又兵衛基次が、徳川方の大軍を迎え撃って討ち死にした地でもある。
戦いは、要衝「小松山」の争奪をめぐって行われた。小松山とは、現在、市立老人福祉センター「やすらぎの園」が建っているあたりで、市立玉手山公園を始め、片山から玉手、円明にかけての一帯が戦場となった。
玉手山公園内など、付近一帯には、又兵衛基次の碑を始めとして、両軍戦死者供養塔や戦跡碑、徳川方の武将の墓などが残されている。2.大坂冬の陣への序曲
慶長3年(1598)、太閤・豊臣秀吉、没。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長8年(1603)に征夷大将軍の宣下を受け、天下の実権をほぼ手中におさめた。他方、秀吉の遺児、豊臣秀頼は、関ヶ原の戦いの後、摂河泉(現在の大阪府の全域と兵庫県の一部)65万7千石の一大名に転落した。
しかし、天下の名城・大坂城にあって莫大な金銀を貯える秀頼は、家康にとって、依然、あなどりがたい存在であった。そこで、家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた。その中の一つが京都東山・方広寺大仏殿の再建工事である。
当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など。
方広寺大仏殿は、慶長17年(1612)に完成。同19年には大仏の鐘も完成したが、家康は、このとき鋳造された鐘銘の中に「国家安康、君臣豊楽」とあるのに、いいがかりをつけ、豊臣氏を挑発した。すなわち、「家康」の名を「国安」で切って家康を呪っている、
「君臣豊楽」とは、豊臣を主君として楽しむの意味だ、というわけである。
この一件の弁明のため、片桐且元が家康のもとに向かったが、この且元が豊臣氏から裏切り者の汚名をかぶせられ大坂城から退けられるに至って、ついに両者の戦いは避けられない情勢となった。
かくして、勃発したのが、大坂冬の陣である。
玉手山公園内の後藤又兵衛しだれ桜と後藤又兵衛基次の碑3.大坂冬の陣の戦闘経過
冬の陣は、主として、篭城戦で戦われた。豊臣方の兵力は約10万、徳川方の兵力は約20万(一説には約30万)といわれる。
慶長19年(1614)10月23日、徳川家康、軍勢を率いて京に入る。
10月26日、藤堂高虎、家康の命を受け、河内国府に本陣をおく。
11月 3日、高虎、枚方方面から南下した松平忠明らと呼応、平野口から住吉に進撃。
11月 5日、豊臣方の薄田兼相、平野口に出撃。徳川方の来襲をきき、急ぎ大坂城に入る。
11月 6日、高虎、浅野長晟、住吉に布陣。松平忠継、有馬豊氏、中島に布陣。加藤明成、神崎から北中島に進撃。
11月15日、家康、二条城を進発、奈良に至る。徳川秀忠(将軍、家康の嫡男)、伏見から枚方に到着。
11月17日、家康、住吉に布陣。秀忠、平野口に至る。
11月19日、秀忠、住吉の家康本陣に到着。軍議の後、攻城の準備を終える。
11月25日、家康、大坂城の堀の水をからすため、淀川に春日井堤を築くべく、伊奈忠政に工事の監督を命じる。
佐竹義宣、上杉景勝、豊臣方の鴫野、今福の砦を占領。
野田、福島も徳川方の手に落ちる。家康、このころから和議交渉を始める。
11月29日、徳川方の蜂須賀至鎮、石川忠総ら、阿波座、土佐座を攻略。
12月 2日、家康、茶臼山に本陣を進める。以後、大坂城の攻防が続く。
12月16日~19日、家康、約300門の大砲で大坂城を砲撃させる。
12月22日、和議成立。4.大坂夏の陣の勃発
和議の条件として、徳川家康、秀忠から豊臣氏に、次の5カ条の誓紙が出された。
1 大坂城に篭城した浪人達の罪は問わない。
2 秀頼の知行は、以前のとおりとする。
3 淀君(秀頼の母)は、江戸に下る必要はない。
4 秀頼が大坂を立ち退くというなら、どこへ行こうと望みしだいである。
5 家康、秀忠は、秀頼に対して、いささかも不信行為はしない。
そして、和議の条件として、大坂城の外堀と内堀は埋め立てられ、二の丸と三の丸も破壊されて、大坂城は本丸だけの「はだか城」とされた。しかし、和議は、豊臣氏に味方した、立身出世や仕官を望む浪人達にとっては失業を意味した。このため、大坂城内では、しだいに再戦を望む声が高まって行き、埋め立てられた堀の復旧工事などが開始された。
これを知った家康は、先の誓紙をひるがえし、豊臣氏に対して、「城中の浪人をすべて追放するか、豊臣氏は大坂城を出て伊勢か大和へ移れ」との要求をつきつけた。
ここに至って豊臣氏の怒りは爆発、ついに再戦が決せられた。夏の陣の勃発である。しかし、本丸だけの「はだか城」では、冬の陣のときのように篭城戦法に頼るわけにはいかない。そこで、豊臣氏は、徳川氏に野戦を挑むこととした。5.大坂夏の陣の戦闘経過
夏の陣の主戦場は、河内であった。豊臣方約5万、徳川方約15万5千といわれる。
慶長20年(1615)4月28日、豊臣方の大野治房ら、泉南の樫井で徳川方の浅野長晟らと合戦。豊臣方の塙団右衛門、討ち死に。豊臣方は、治房の報告により、徳川方が、河内街道からだけでなく奈良街道からも進撃して来ることを知る。
5月1日、豊臣方の後藤基次、薄田兼相ら平野に出陣。真田幸村ら天王寺に布陣。
5月5日、家康、京を進発。秀忠、伏見を進発。徳川方の先陣・藤堂高虎、河内千塚に布陣。井伊直孝、楽音寺に布陣。水野勝成、河内国分に布陣。徳川方の本多忠政、松平忠明、伊達政宗らの諸隊も河内に到着。伊達隊の先鋒・片倉重綱、片山に布陣。
5月6日、後藤基次、小松山で徳川方の諸隊と激突して、討ち死に。小松山の戦い。薄田兼相、道明寺河原の戦いで討ち死に。豊臣方の残兵、藤井寺・誉田森へ退却。豊臣方の木村重成、佐久間忠頼らの諸将、八尾・若江で相次いで討ち死に。豊臣方の真田幸村、毛利勝久ら大坂城に退却。
5月7日、真田幸村、家康の本陣に突入して討ち死に。徳川方も本多忠朝、小笠原秀政ら討ち死に。
5月8日、大坂城落城。秀頼、淀君らは自害。豊臣氏、滅亡。一説によると、毛利勝永が秀頼の介錯をつとめ、その後に自害したという。
5月8日、天晴 巳刻に至り大坂城落つ、秀頼公、同御袋、そのほか女中20人ばかり自害の由也、打ち死にの衆2万ばかりの由也、(中略) その夜、もってのほか雨降る。(梵舜日記)6.両軍の作戦
徳川方は、紀伊方面からの部隊のほか、本隊と別働隊の2隊に分かれて大坂城を目指した。家康、秀忠以下約12万の本隊は生駒山麓西側の高野街道を進む河内路を、伊達政宗ら約3万5千の別働隊は奈良・法隆寺方面から河内に入る大和路をとった。
道明寺方面で合流し、その後に平野、住吉方面から大坂城に攻め上ろうとの作戦である。
これを知った豊臣方では、徳川方が合流する前に機先を制して各個撃破する、との方針を立てた。木村長門守重成(約4千7百)と長宗我部宮内少輔盛親(約5千)が高野街道を南下する徳川方本隊を八尾・若江で側面から攻撃し、後藤又兵衛基次(約2千8百)、薄田隼人正兼相(約4百)、真田左衛門尉幸村(約3千)、毛利勝永(約3千)らは、国分の狭路を通って河内に入って来ようとする別働隊を迎え撃とうというのである。
大坂城に守備兵力のほか約1万の予備兵力を配置し、八尾、国分、紀伊の3方面で徳川方を迎え撃つ。勝機のつかめそうな方面に予備兵力を投入して徳川方に打撃を与え、兵力差をできるだけ縮めて後、全兵力を大坂城に戻して態勢を整え最終決戦にのぞむ、というのが、豊臣方の戦略であった。
しかし、豊臣方の動きは、忍者からの報告などにより徳川方に筒抜けであったのに対し、豊臣方では今ひとつ情報収集力に欠けるところがあった。そのうえ、諸隊の動きが統一性を欠くなど、いくつかの問題点をかかえていた。7.小松山の戦い(国分・道明寺の戦い)
5月1日、後藤又兵衛基次、薄田隼人正兼相ら平野に到着。真田幸村、毛利勝永ら天王寺に布陣。
5月5日、幸村らは、基次と会合、6日を期して道明寺で合流し、国分において徳川方を迎え撃つことを約した。
同日夜、基次は、約2千8百の軍勢を率いて平野を進発。奈良街道を東進し、6日未明、藤井寺に到着した。しかし、濃霧のため、他の諸隊は、予定どおり到着できなかった。しかも、基次ら豊臣方の動きは、すでに徳川方の知るところであったという。
このため、基次は単独で道明寺に進出したが、このときすでに徳川方は国分に入ってしまっていた。そこで、基次は、後続の諸隊を待つことなく、先鋒の山田外記、古沢満興に命じて、石川を渡り、当初の作戦どおり、小松山を占領させた。
山田外記の旗幟が山上に立ったのを見た基次は、急ぎ本隊を小松山に登らせた。
午前4時ごろ、後藤隊の先頭は、山を下って徳川方の諸隊と激突、攻め登って来る徳川方とのあいだで、小松山の争奪をめぐって激しい戦闘が繰り広げられた。しかし、徳川方は、水野勝成隊(約3千8百)、本多忠政隊(約5千)、松平忠明隊(約3千8百)、伊達政宗隊(約1万)の合計2万3千もの兵力。初めは優勢だった後藤隊も衆寡敵せず、しだいに圧倒されて三方から包囲された形になり、基次は討ち死に、後藤隊も壊滅してしまった。時に6日午前10時ごろ、激闘実に6時間であった。
基次の討ち死にの原因は、「矢きずを負って」とも「鉄砲に胸を撃たれて」ともいわれている。負傷した後に自害した。吉村武右衛門が介錯したという。
徳川方でも奥田三郎右衛門忠次、山田十郎兵衛らが討ち死にしている。
「軍兵大勢討死。大坂方は猶もって大勢打死。この三村(円明村、玉手村、片山村)の地、あき間もなきほど死体ありける」(河内鑑名所記、延宝7年・1679著者は柏原の人、三田浄久)薄田兼相、明石掃部、真田幸村、毛利勝永らの諸隊は、基次討ち死にの後、道明寺に到着。薄田隊は、総くずれとなって、兼相は討ち死に。明石隊は、徳川方の攻撃を防ぎつつ後退。毛利隊は、敗走して来た将兵を収容して撤退。真田隊は、味方諸隊の撤退援護のため誉田村に前進、伊達隊の攻撃を撃退し敗走させたものの、八尾・若江方面の戦いで木村隊が壊滅したとの報告を受け、大坂城へ撤退した。
八尾・若江方面の戦いでの木村重成の討ち死にと木村隊、長宗我部隊の壊滅は、6日昼すぎのことであった。濃霧の中での遭遇戦で、徳川方の藤堂高虎、井伊直孝らの隊も大きな損害を出した。現在、玉手山公園内に「後藤又兵衛基次の碑」、「吉村武右衛門の碑」、「両軍戦死者供養塔」、「後藤又兵衛しだれ桜」(平成12年2月植樹)が、周辺には「大坂夏の陣古戦場碑」、「後藤又兵衛奮戦の地碑」、「奥田三郎右衛門の墓」、「山田十郎兵衛の墓」などがある。
参考文献
「柏原市史」第3巻 (柏原市 1972年3月)
「かしわらの史跡」 (重田堅一、柏原市 1992年3月)
「図説再見大阪城」 (渡辺武、(財)大阪都市協会 1983年9月)
「歴史群像シリーズ40 大坂の陣」(学習研究社 1994年12月)
「歴史群像」No41所載「決戦!大坂の陣」(河合秀郎)(学習研究社 2000年2月)














