まちの魅力
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歴史資産と豊かな自然に恵まれた柏原市。「かしわら」の魅力をより多くの方に知っていただくためにボランティアガイドスタッフの存在は欠かせません。柏原市では、魅...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
歴史資産と豊かな自然に恵まれた柏原市。「かしわら」の魅力をより多くの方に知っていただくためにボランティアガイドスタッフの存在は欠かせません。柏原市では、魅力案内人としての知識や参加者に楽しんでもらうための技術習得を目的として「かしわらボランティアガイド講座」を開講します。
すでにボランティアとして活躍されている方のスキルアップはもちろんのこと、柏原市の魅力を誰かに伝えたいという気持ちのある方のご参加をお待ちしています。
第1回 「効果的なイベントチラシ~魅力ある情報発信」
9月24日(土)フローラルセンター 9時30分~11時30分
講師:関西ウォーカー編集長 篠原賢太郎さん
第2回 「山で見つけた自然素材で作るクラフト~竹細工」
10月1日(土)フローラルセンター 9時30分~11時30分
講師:国分東条町 久米持水さん
第3回 「”真田丸”の舞台をめぐる~後藤又兵衛の視線」
10月8日(土)玉手山公園付近ウオーキング 9時30分~11時30分
講師:柏原おいなーれガイドの会
第4回 「高井田の自然を観察してみよう」
10月15日(土)史跡高井田横穴公園 9時30分~11時30分
講師:かしわら森の会
第5回 「万葉集に詠まれた景勝の地~亀の瀬をめぐる」
10月22日(土)奈良県三郷町~柏原市青谷付近ウオーキング 9時~12時
講師:柏原市立歴史資料館館長 安村俊史
申込方法
講座の10日前までに電話・メールのいずれかで申込み
住所・氏名・電話番号・講座名をお伝えください
柏原市役所 まちの魅力づくり課 ☎092-971-0042
machinomiryoku@city.kashiwara.lg.jp
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柏原市は都会のように騒々しくもなく、田舎のように孤立もしていない。柏原市は自然の風景の美しさと生活の便利さのバランスが...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
柏原市は都会のように騒々しくもなく、田舎のように孤立もしていない。柏原市は自然の風景の美しさと生活の便利さのバランスがうまく取れた街である。今回は柏原市に流れる大和川の紹介をしよう。

大和川は奈良の桜井市の東北部から始まり、奈良県の佐保川、曽我川、葛城川、高田川、竜田川、富雄川などの水を集め、大阪の柏原市で石川と合流し、大阪湾に流れ込んでいる。
明治時代に鉄道が建設される前までは、二人で航行する柏原舟は大阪と柏原の間の商品を運送するメイン手段であった。

もともと柏原舟の港だが、今は児童公園になってしまった。かつての繁栄の様子は現在見ることができない。残念だ。 
柏原舟の普及は物流の繁栄を盛り上げた。写真にある三田家住宅は、当時に柏原舟の運航で栄えた商人の家である。昭和44年(1969年)に文化財と認定された。 
1704年以前、大和川は現在の様子と大きく異なっていた。当時の大和川は、各支流と合流したときに、たくさんの土砂も一緒に大和川に入ったため川の床がだんだん高くなって、洪水がほぼ毎年発生した。洪水を制御するために、日本史上でも有名な大和川の付け替え工事を行った。 
画像は、大和川の付け替えを促進した代表人物の中甚兵衛の像である。彼を記念するために、この新旧の川道の間に立っている。(この立派な姿をマネしました。似ていますか?) 
付け替えた大和川は西に方向を変え、海に流れ込む。もともとの川道の水流は弱くなって、生活用水として残された。それは長瀬川と呼ばれている。 
築留二番樋(文化庁登録有形文化財) 
長瀬川は柏原市から、八尾市、東大阪市を通り、全長約1万4千メートル。大和川の付け替えのおかげで、洪水は無くなり、人間に恵みを与えるだけではなく、魚と水鳥も育った。 
工場のそばのかわいい水車 
八尾市の二俣付近。長瀬川はここからもう一度、二本に分かれる。左側は長瀬川で右側は玉串川である。 
春の河川敷にいっぱいの菜の花、夏の風物詩花火大会、秋風と共に揺れるススキの穂、冬の雪に飾られた白い世界。
付け替えされた大和川は四季折々の風景があります。ぜひ自分の目で見ませんか。

大和川を付け替える前の様子はもう誰も知らない。そして、今の長瀬川は、優しく細い川しか見られない。長瀬川から西へ50メートルぐらい離れたところにある、玉串川との分岐のところに、道が盛り上がったところがあるが、それが元の大和川の堤防だと教えてもらった。

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このページでは、柏原市が撮影した風景などの写真画像・動画を自由にダウンロードしていただけます。 「日本遺産柏原市」PR用フリー素材とは 「日本...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
このページでは、柏原市が撮影した風景などの写真画像・動画を自由にダウンロードしていただけます。
「日本遺産柏原市」PR用フリー素材とは
「日本遺産柏原市」に関する写真画像を紹介しており、全て無料でダウンロードできます。個人でダウンロードして楽しむほか、名刺やチラシの画像、商品の画像など柏原市のPRやイメージ向上につながるようなものに対してご利用ください。ただし、以下「使用上の注意」を遵守の上、柏原市のイメージを損ねるような用途への使用はご遠慮ください。
使用上の注意
写真画像は無料でダウンロードできますが、全ての著作権は柏原市に帰属します。使用に際しては、次のことを遵守してください。
- 使用用途は、個人利用、商用利用ともに可能です。ただし、写真集や素材のみを製品としたDVDなど、写真画像そのものの商品化やそのまま複製したものを販売・頒布・貸借・貸与することは禁じます。
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- 本条項のいずれかに違反した場合、柏原市はいつでも使用を差し止めることができるものとします。
免責事項
柏原市は、市ウェブサイトが提供する写真画像を利用して生じた、いかなるトラブルに関しても保証やサポートは行いません。
画像の保存方法
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- 画像の上で、右クリックし、表示されたメニューから「名前を付けて画像を保存」をクリックします。
- 保存先を選んで保存すれば、ダウンロード完了です。
柏原市フリー素材集
亀の瀬
亀石
旧大阪鉄道亀瀬隧道
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【2月1日配信開始】無料バーチャル謎解きツアー「龍姫と風神さまの失くしもの」
おうちでちょっぴり観光気分♪ 柏原市・三郷町を舞台にしたバーチャル謎解きツアーを開催します 大阪府柏原市、奈良県三郷町では、両市...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
おうちでちょっぴり観光気分♪
柏原市・三郷町を舞台にしたバーチャル謎解きツアーを開催します大阪府柏原市、奈良県三郷町では、両市町をつなぐ日本遺産・龍田古道を中心に地域の魅力向上を目指して、バーチャルとリアルを融合させた3幸(観幸・健幸・振幸)プロジェクトに取り組んでいます。
このたび、コロナ禍においても両市町を知って、楽しんでいただけるツールとして、龍田古道周辺を舞台にしたスマホ上のバーチャル謎解きツアー「龍姫と風神さまの失くしもの」をつくりました。2月1日から無料で配信します。
見どころのひとつが、現地をドローンで空撮した映像。ウェブ上のバーチャル空間ならではの新たな試みとして、歩きでは体験できない非日常的な視点からも市町の魅力・見どころを発信しながら、新しい感覚で観光気分を味わってもらえるものにしました。
バーチャル謎解きツアータイトル
「龍姫と風神さまの失くしもの」
■ストーリー
柏原市と奈良県三郷町の府県境にあり、日本遺産に認定された『龍田古道』。
幼い龍姫は一人前になるために、友達の風の使いとこの古道のどこかにあるという秘宝「風袋」を探しに出ることになったが・・・実施期間
令和3年2月1日(月)から令和3年3月31日(水)まで
参加費
無料
参加方法
参加には、無料通信アプリ「LINE」を使用します(パソコン、スマホともに可能)。指定のURLを開くか、「@takarush」でID検索して友達登録を行っていただき、「龍姫」と入力いただくとゲームが始まります。
ゲーム内では、謎を解きながらヒントを得られる場所として、両市町に実在する名所や飲食店等が登場します。
散りばめられた謎を解いて、主人公・龍姫の宝探しを助けてください!■下のURLからツアーページに移動できます
https://www.takarush.jp/promo/sankoproject2021/
特典
全ての謎を解き見事宝箱を見つけた参加者には、ツアーに登場した各店舗で実際に使えるお得なクーポンをゲットできるほか、dポイント等の特典があります!
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三田家住宅 今町1丁目にあり、江戸時代に栄えた商家の姿を今に伝えています。1766年に大改修されているのみで、江戸時代の生活様式、建築様式を...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
三田家住宅

今町1丁目にあり、江戸時代に栄えた商家の姿を今に伝えています。1766年に大改修されているのみで、江戸時代の生活様式、建築様式を知るうえで貴重な資料となっています。
瑠璃光寺

行基が開いたと寺伝にあります。現在は曹洞宗。門前の小堂に阿弥陀如来像・菩薩形立像を安置し、また四天王像(4体とも木造)も寺内に保管されています。
生安寺

生安寺(しょうあんじ)は、本堂にあります。生安寺の薬師如来像は、鎌倉時代につくられたものです。
生安寺の堂前の軒下に直径30センチぐらいの鰐口がかかっています。その鰐口の銘帯に「生安寺」と書いてなくて「河内国道明寺長福寺」と書いてあります。長福寺というのは昔、藤井寺市の「道明寺」の境内にあった寺です。この鰐口は1371年の鋳造です。
元亀3年(1572年)に織田信長が古市の高原城を攻めた際、戦火でを避けるため移されそのままになったといわれています。光徳寺

奈良時代から雁多尾畑村は、龍田越えの霊地でありました。
永延2年(988年)、延暦寺の僧法円法師が来訪、円融法皇の勅願によって一宇を建立し、東広山照曜峰寺と称しました。
しかし、その後、1113年、南都の僧兵によって焼きはらわれました。
安貞2年(1228年)近江の園城寺(三井寺)の僧俊円が雁多尾畑に来り照曜峰寺を再興しました。この年、天皇の宣旨を以て、大県郡の山中において300町歩の地を寄付され東広山照曜峰寺を改めて照曜山光徳寺の勅号を賜り、堂を雁林堂といいました。
俊円はさらに親鸞の念仏門に入り松谷仏念房信乗と称しました。これ以後当寺は真宗の道場ととなりました。
現在の本堂は、明和8年(1771年)の建立で山門は宝暦年間(1750年)ごろのものです。石神社と知識寺

石神社(いわじんじゃ)は、太平寺の小高い丘陵の山腹にあり、高い石段を登った静かなところに社殿があります。
祭神は欽明天皇の皇后、石姫皇后(いわのひめのこうごう)で式内社です。
神社の鳥居前の樟(くすのき)は、周囲約6メートル、高さ約16メートル以上もある大樹で、樹齢700~800年と推定され、枝葉は天を覆っています。
境内には、奈良時代の名刹であった智識寺の東塔の礎石があり、これは府の文化財に指定されています。
礎石の柱穴の直径が122センチもあり、現在は神社の手洗い石として使用されています。
この智識寺には、その昔、天平12年聖武天皇が智識寺の廬舎那仏を参拝され、これが機縁となって東大寺の大仏建立を発願されたという話は有名です。観音寺
河内の名刹であった智識寺の流れをくみ、「拾筒之内智識寺什物」と書かれた経机が所蔵されています。
天湯川田神社

30歳になって初めてことばを発した誉津別命(ほむつわけのみこと)(垂仁天皇の皇子)のために、飛び去った鳥を出雲まで追いかけて捕らえたことにより「鳥取造(ととりのみやつこ)」の姓(かばね)を与えられたという、天湯川田桁命(あまゆかわたけのみこと)らをまつっています。
神社のある高井田を中心とした地域は、かつて鳥取郷と呼ばれ、ここを治めていたのが鳥取氏でした。また、同神社は、河内六大寺の一つ、鳥坂寺(とさかでら)の跡でもあります。大坂夏の陣古戦場跡

玉手山丘陵から大和川にかけての一帯は、大坂夏の陣で徳川方・豊臣方が激突した古戦場です。
この戦いで豊臣方を率いていた後藤又兵衛基次は傷を受けて戦闘の指揮がとれなくなり、切腹したと伝えられています。
後藤又兵衛の碑は市立玉手山公園の中にあります。
また、徳川方で討ち死にした奥田三郎右衛門、山田十郎兵衛の碑も建てられています。安福寺と玉手山古墳群

石川と大和川の合流点を眼下に望む玉手山丘陵には、合計14基の前方後円墳と数基の円墳からなる前期の古墳群が形成されています。
これらの前方後円墳には、築造時期が五期以降(五期から八期までは中期古墳、九期から十一期までは後期古墳)に下降するものは知られていません。
玉手山古墳群は、前期古墳の二期から四期という短期間に複数の地域首長が、玉手山丘陵を共同の墓域に、造墓活動を繰り返した結果、形成されたものと考えられています。
玉手山の北西に位置するところにある安福寺横穴群があります。大阪府文化財の指定を受けています。
この横穴は、高井田の横穴と同じで、凝灰岩が露呈しているところに掘られてあり、短い羨道部と玄室とからなり、天井はゆるい弓形となっており、南側、北側ともに16基、計32基が見られます。
これらの横穴には、造りつけの石棺のあるもの、陶質棺が納められているもの、有名な騎馬人の壁画が彫刻されたものがあり、全国的に数少ない横穴遺跡として注目されています。
安福寺は奈良時代の僧行基の創立でありますが、中世荒れはててただ一棟の小堂あるにすぎませんでした。
寛文年間(1661年から1673年)に浄土宗の珂億上人がこの地に来て人を導き安福寺の名を四方にあらわしましたが、上人の名を一層高めたのは徳川御三家の一、尾張大納言光友(徳川家康の孫)でありました。光友は深くその学徳に帰依しました。
そして、安福寺に寺田20ヘクタールを寄付しました。次の代からは毎年40金を贈り、これが明治維新まで続いていました。
安福寺には、左側に広大な庫裡とこれに南隣して本堂が建っています。本堂は4間四面の建物で、寛文年間の造営で屋根は低く柱は太く大風や地震に耐える万世不易を期したもので建築史上珂億建てと呼ばれるものです。玉手橋

玉手橋は柏原市の所有となっており昭和3年、当時西日本では最古の玉手山遊園地(現在は市立玉手山公園)に通じる橋として近鉄の前進であった大鉄が石川に架けた長さ151メートルの鉄製五径間吊り橋です。主塔の間を開腹アーチで結んでいます。平成13年、国の文化財に登録されました。
河内国分寺跡

1200年前の奈良時代、聖武天皇の詔勅により全国に国分寺が造営されました。河内国分寺も、現在の国道25号線の南、国分東条町の丘陵台地に建造されました。北方眼下に大和川の清流があり、南には丘陵の樹木が多く、たいへん景色のよいところだったようです。河内国分寺には、七重塔が造立されていました。現在、堂寺跡には6個の礎石が残っています。
松岳山古墳
松岳山古墳(まつおかやまこふん)は、前方後円墳で4世紀後半のものと推定されています。大和川を左岸から眼下にする丘陵地に築かれた120メートルを測る前期の前方後円墳であります。周辺には、ほぼ同時期の築造とされる径30メートルの円墳、東大塚古墳を筆頭とした7基の円墳と1基の方墳が随伴しました。しかし、現存するのは、松岳山古墳の1基だけです。
大和川付け替え記念碑

大和川は、もとは本市通称「築留(つきどめ)」から北上して淀川へとそそいでいました。ところが、河内平野は低湿地であるため、たびたび洪水を起こしていました。そこで、宝永元年(1704)に付替え工事が行われ、本市から西、堺の方へ流れる新大和川(現在の流路)が開通しました。現在、築留には、この付替えの功労者・中甚兵衛(なかじんべえ)の銅像や付替え関係の碑などが建ち、公園として整備されています。
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【周遊モデルコース募集】わたしがおすすめする、柏原市の見どころはココ!
市は、観光客へのおもてなしにつなげることを目的に、皆さんだからこそ知っている“とっておきの場所”や“おすすめスポット”などを巡る周遊モデルコースを...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
市は、観光客へのおもてなしにつなげることを目的に、皆さんだからこそ知っている“とっておきの場所”や“おすすめスポット”などを巡る周遊モデルコースを募集します。柏原市を愛する方であれば、どなたでもご応募いただけます。皆さんのオリジナルの楽しいコースをお待ちしています!
募集期間
8月2日(月)から8月31日(火)まで
※どなたでも。一人につき複数応募も可能です。応募方法
8月2日(月)から8月31日(火)の間に、にぎわい観光課窓口で配布する応募用紙(以下からダウンロード可)に記入または入力の上、にぎわい観光課へ持参(平日のみ)、郵送またはメール(件名は「おすすめ観光ルート応募」としてください)で提出。応募者先着30 名に柏原市オリジナル手ぬぐいをプレゼントします!
応募用紙ダウンロード
下の2種類用紙(提案シート・記入シート)にご記入のうえご提出ください。
- 柏原市周遊モデルコース【提案シート】(PDFダウンロード)(WORDダウンロード) ※記入例はこちらをクリック
- 柏原市周遊モデルコース【記入シート】(PDFダウンロード)(WORDダウンロード) ※記入例はこちらをクリック
注意事項
- 応募者は、紹介した場所やルートを柏原市が各種媒体に掲載することを了承したものとします
- 都合により掲載できない場合があります。
- 特定の店舗の広告になるような応募はお控えください。
- 応募者の氏名、ペンネームなどを公表する場合があります。
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八尾市×柏原市×るるぶ!! フリーペーパー『るるぶ特別編集 八尾・柏原』
本市は、八尾市と共同で、歴史、自然に恵まれた両市の魅力をたっぷり詰め込んだフリーペーパー『るるぶ特別編集 八尾・柏原』を作成しました。 両市の名...(2021年8月1日 にぎわい観光課)本市は、八尾市と共同で、歴史、自然に恵まれた両市の魅力をたっぷり詰め込んだフリーペーパー『るるぶ特別編集 八尾・柏原』を作成しました。
両市の名所・旧跡、グルメスポットはもちろん、2014年・2015年が、大坂冬の陣・夏の陣から400年という節目を迎えることを受け、八尾・若江の戦いや柏原市における小松山の戦いなど、大坂夏の陣の舞台となった古戦場についても、特集ページを設けて紹介しています。
秋の訪れを感じるこの季節、るるぶを片手に、ぜひ八尾市・柏原市にお越しください。
冊子は、柏原市役所をはじめ、両市の公共施設はもちろん、関西空港やOCATバスターミナル、難波や天王寺のJTB各店舗、心斎橋を中心とするホテル等で無料配布しています。

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「伝統技術」染色法 注染~浪華本染め~ 注染は、明治時代に大阪で生まれた伝統的な染色技法であり、生地の染色したい場所に糊で土手を作り、...(2021年8月1日 にぎわい観光課)


「伝統技術」染色法
注染~浪華本染め~
注染は、明治時代に大阪で生まれた伝統的な染色技法であり、生地の染色したい場所に糊で土手を作り、染料を注ぎ込み染色する技法です。手作業でありながら多彩な柄、小紋などの微妙なタッチや独特の色合いを出すことや、ぼかし等の技法を活かすことで、立体感やなごみを表現することができますが、熟練した技術が必要となります。
この注染は柏原市の古くからの伝統産業であり、2019年には浪華本染めという名称で日本の伝統的工芸品に指定されました。≪注染の工程≫
1 糊置き
柄の中で染料をつけたくないところに糊をのせます。柄に合わせて糊付けを繰り返す折り返しには相当の熟練が必要で、注染の技法では、この糊置きという工程が非常に重要となります。

2 注ぎ染め
染料を注ぐ部分に土手を作り、土手の内側に染料を十分に注ぎ込んで染めます。表からも裏からも染めるのが特徴です。
3 水で流す
染め終わった生地についた余分な糊と染料を水で洗い流します。4 干す
水洗いの終わった生地を天日乾燥で立干しします。染め上げられた生地がいくつも干されている様は壮観です。
詳しくは「注染 -浪速本染め-」 公式サイトよりご覧ください。
柏原とゆかた

ゆかたの由来
昔は湯帷子(ゆかたびら)と呼ばれ、公家や武家が入浴や湯上がりに湯気をぬぐいさるために着た麻の単衣のことを言いました。 江戸時代後期に今の木綿地になり一般大衆に広まったようです。
柏原のゆかた地染色の歴史
柏原で布地の染色が始まったのは、明治の末期から大正のはじめごろです。当初は、手ぬぐいの染色が主でしたが、大正13年頃からゆかたの染色が多くなってきました。
染色には、きれいな水が多く必要であったため、旧大和川の川床筋である上市・古町地区に豊富な伏流水を利用した染色の工場が多く建ち並んでいました。
当時は、漂白した木綿を乾燥させるため大和川の堤防上一面に純白の木綿地が干されている光景がみられましたが、現在は、「屋上さらし」といって建物の屋上に櫓を組んで乾燥させる方法と、室内で熱風による方法が行われています。現在では工場の数も少なくなりましたが、伝統的な技法を守りながら、設備の近代化や技術の改良によって現代感覚にマッチしたゆかたが作られています。現在のゆかた生産
柏原市のゆかたは、最盛期には全国生産量の約25%(約250万反)を占めていました。しかし、最近では中国などから機械染めゆかたの輸入が増加し、全国的にも生産量が減少している中、柏原市においては7社ほどの染物工場で年間約8万反の生産が続けられています。
柏原市内の染工場の紹介(順不同)
◆市岡染工場
伝統工芸士
市岡 靖昌 氏
所在地
〒582-0001 柏原市本郷1丁目5-23
TEL:072-972-0391
FAX:072-972-0391
主な取り扱い品または染物
注染ゆかた、注染手拭い◆神奴染工場
伝統工芸士
神奴 典兒 氏
所在地
〒582-0008 柏原市古町2丁目7-2
TEL:072-972-0588
FAX:072-972-0588
主な取り扱い品または染物
注染手拭い◆水本染工場
伝統工芸士
水本 雅祥 氏
所在地
〒582-0007 柏原市上市3丁目14-15
TEL:072-972-0328
FAX:072-972-0321
主な取り扱い品または染物
注染手拭い◆澤染工場

伝統工芸士
澤 隆政 氏
所在地
〒636-0143 奈良県生駒郡斑鳩町神南3丁目3-5
TEL:0745-74-6370
FAX:0745-74-6371
主な取り扱い品または染物
注染手拭い、注染ゆかた -
この樋は宝永元(1704)年に付け替えられた大和川から農業用水として旧川筋の一つである長瀬川に取水するものです。記念公園に建つ碑の一つに、明治21(188...(2021年8月1日 にぎわい観光課)
この樋は宝永元(1704)年に付け替えられた大和川から農業用水として旧川筋の一つである長瀬川に取水するものです。記念公園に建つ碑の一つに、明治21(1888)年に完成したものであると記されています。アーチ部の最大幅は157センチを測り、基本的にイギリス積みを採用し、面壁の下半のみ長手積みとしています、アーチの形は鉄道トンネルのように馬蹄形をしています。これは水路や樋門としては非常に珍しいものです。各壁の天端には花崗岩が載せられ、床面にも花崗岩が敷かれています。内部は薬剤注入やコンクリートにより補強されており、詳しい構造は分かりません。



















