文化・スポーツ

  • 知恵と技術~大和川のつけかえ工事4~

    川底を掘らずに  つけかえ工事の計画図面とも呼ぶべき「地形高下之事(図)」(中家文書)をみると、新大和川の測量は1町(約109m)ごとに杭を打ち、そ...
    (2015年8月24日 文化財課)
  • 知恵と技術~大和川のつけかえ工事3~

    新たな測量技術  測量を行う際に問題になるのが、水平を決める方法です。水平線が歪んでいたら、高さも変わってしまいます。水平を求めて高さを調べることを...
    (2015年8月19日 文化財課)
  • 知恵と技術~大和川のつけかえ工事2~

    高さを測る  新しい川を造ろうとすると、まず地形の測量が必要になります。新しい川の予定地の距離や高さを測って、水がうまく流れるか、そのためにはどのよ...
    (2015年8月3日 文化財課)
  • 知恵と技術~大和川のつけかえ工事1~

    大和川のつけかえ  柏原市域を二分するように流れる大和川は、柏原市の象徴でもあり、市民にやすらぎを与えてくれる自慢の川でもあります。しかし、時には洪...
    (2015年7月26日 文化財課)
  • 小松山の戦いこぼればなし(10)

    夏の陣と柏原の村々  夏の陣の際に、豊臣方が各地の村を焼き払ったことはよく知られています。徳川方が攻めてきたときに、滞在する場所をなくすためだったよ...
    (2015年7月21日 文化財課)
  • 大坂夏の陣後の柏原

    大坂夏の陣の終結  慶長二十年(一六一五)五月五日から六日にかけて、国分から片山・玉手山にかけての一帯は、豊臣方の後藤又兵衛らと徳川方の伊達政宗らの...
    (2015年5月21日 文化財課)
  • 小松山の戦いこぼればなし(6)

    又兵衛の首はどこに?  又兵衛は鉄砲による深傷を受けたあと、家臣に首を切らせて、その首は深田あるいは泥田に埋めたということです。深田(泥田)とは、水...
    (2015年5月18日 文化財課)
  • 小松山の戦いこぼればなし(5)

    又兵衛の最後  小松山を西に下ったあたりで、又兵衛隊は乱れながらも最後の戦いを続けていました。又兵衛の死については、さまざまな説がありますが、片山の...
    (2015年5月8日 文化財課)
  • 亀の瀬こぼればなし(10)

     奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。  亀の瀬は、地すべり地帯としてよく知られています。明治36年には地すべり...
    (2015年5月8日 文化財課)
  • 亀の瀬こぼればなし(9)

     奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。  ここ亀の瀬は、役小角(役行者)が開いた葛城修験の場でもあったのです。役...
    (2015年4月28日 文化財課)