文化財課
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業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
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【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (9) 幕府の対応と瑞賢の二期工事
幕府は河村瑞賢に治水工事を任せるだけでなく、治水のために制度の整備などにも取り組んでいました。貞享元年(1684)には土砂留制度を整備しています。洪水が...(2023年11月9日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (8) 貞享4年からの付け替え運動
天和3年(1683)の検分の結果、河村瑞賢が翌貞享元年(1684)から着手した淀川の治水工事を貞享2年に終え、貞享3年(1686)から大和川の治水工事に...(2023年11月2日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (7) 河村瑞賢の治水工事
河村瑞賢は伊勢国度会郡東宮村の出身で、明暦の大火の際に巨利を得、航路の整備、鉱山開発など多方面で活躍しました。今風にいうと実業家であり、その知見を見込ま...(2023年10月26日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (6) 天和3年の付け替え検分(4)-付け替え不要の決定-
天和3年(1683)の検分は、3か月に及ぶ広範囲の検分でした。大和川の付け替えだけでなく畿内全体の治水体系を把握し、今後の治水対策の資料にしようとしたの...(2023年10月19日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (5) 天和3年の付け替え検分(3)-新ルートでの検討-
志紀郡太田村の柏原家文書に、天和3年(1683)4月23日付けの「乍恐御訴訟申上候」があります。旧版の『八尾市史』に掲載されており、以前から知られていた...(2023年10月12日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (4) 天和3年の付け替え検分(2)-従来ルートでの検討-
天和3年(1683)の検分では、新川予定地として舟橋村(藤井寺市)から田辺村(大阪市東住吉区)を経由して安立町(大阪市住之江区)へ、また田辺村から阿倍野...(2023年10月5日 文化財課) -
「柏原市立歴史資料館空調設備及び照明設備賃貸借」公募型プロポーザルの選定結果について
更新状況 令和5年9月29日(金) 契約の締結についてを公表しました。 令和5年4月27日(木) 選定結果を公表しました。 令和5年4...(2023年10月2日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (3) 天和3年の付け替え検分(1)-検分ルート-
天和3年(1683)の検分は、2月18日に若年寄稲葉石見守正休、大目付彦坂壱岐守重紹、勘定頭大岡備前守清重らが、幕府から任命されて畿内一円の河川を検分し...(2023年9月28日 文化財課) -
【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (2) 5回の付け替え検分
万治3年(1660)に最初の付け替え検分が実施されてから、寛文5年(1665)、寛文11年(1671)、延宝4年(1676)、天和3年(1683)と5回...(2023年9月21日 文化財課) -
展示期間 令和5年6月27日(火)~9月10日(日) 概要 今回の特集展示は、夏季企画展にあわせて柏原市玉手の安福寺にゆかりのある古墳...(2023年9月19日 文化財課)
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【コラム】大和川のつけかえ-つけかえしないと決めてから- (1) 付け替え運動のはじまり
大阪平野になんども洪水をもたらしていた大和川は、宝永元年(1704)に付け替えられることになりました。北へと流れていた川を、西へと流れるようにしたのです...(2023年9月14日 文化財課) -
展示期間 令和4年9月13日(火)~令和5年1月22日(日) 概要 今回の特集展示は、1704年に付け替え工事が行われた大和川のその後...(2023年7月4日 文化財課)
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夏季企画展「玉手山安福寺と徳川家ーある奇縁ー」の内容をより深く知ってもらうため講演会を開催します。 この機会にぜひご来館ください。 ...(2023年6月15日 文化財課)
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歴史資料館の常設展示室にて、日本遺産「龍田古道・亀の瀬」推進協議会が作成した『龍田古道 亀の瀬 絵巻』を公開しています。 映像作家・重田佑介氏に...(2023年6月6日 文化財課)
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連載期間:2023年4月~6月 (1) 横穴式石室の源流を探る (2) 武寧王 (3) 右片袖式石室と夫婦合葬 (4) 高井田山古...(2023年6月2日 文化財課)
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文化庁が文化遺産を活用した地域活性化に係る取組への支援として行っている補助事業「地域文化財総合活用推進事業」の説明会を開催します。文化庁からの補助金を希...(2023年6月1日 文化財課)
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【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (10)韓国との交流
高井田山古墳は、古墳時代の研究において、朝鮮半島との交流や横穴式石室の普及などに関わって重要な位置を占めています。古墳時代の研究者に注目されている古墳で...(2023年6月1日 文化財課) -
【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (9)百済の王族が眠る?
これまで検討してきたように、高井田山古墳には百済からの王族クラスの人物夫婦が埋葬されていると考えています。『日本書紀』などにみえるように、5世紀後半に王...(2023年6月1日 文化財課) -
【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (8)大県郡から安宿郡へ
柏原市の北東部は奈良時代以降大県郡でした。南・西は大和川で画され、南は大和川を挟んで安宿郡に接しています。そして、昆支の渡来と深い関係があると考えている...(2023年5月26日 文化財課) -
【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (7)飛鳥戸氏と安宿郡
氏族の系譜を集成した『新撰姓氏録』(弘仁6年・815年成立)によると、飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)は百済の比有王の男琨伎王あるいは末多王を祖とするとさ...(2023年5月25日 文化財課) -
高井田横穴では、これまでの調査で多数の土器が見つかっていますが、そのなかでも少し変わった土器として、須恵器の鈴付高坏があります。坏部と脚部の間が膨らんで...(2023年5月23日 文化財課)
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【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (6)高井田山古墳と渡来系技術者
『日本書紀』には、王族だけでなく今来才伎(いまきのてひと)や手末才伎(たなすえのてひと)と呼ばれる技術者などが、雄略朝に百済から渡来してきたことが記され...(2023年5月19日 文化財課) -
柏原市立歴史資料館等運営協議会会議の開催について 柏原市では、柏原市立歴史資料館及び史跡高井田横穴公園の円滑な運営と効率的な活用を図り、郷土の文...(2023年5月18日 文化財課)
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【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (5)昆支の渡来
5世紀中頃から百済は北にあった高句麗に攻められ、倭(日本)に軍事支援を求めていました。その見返りとして、王族を人質として倭に送ったり、さまざまな技術者や...(2023年5月18日 文化財課) -
『柏原市史』刊行後50年近く経過し、この間に発掘調査、古文書の収集、研究なども進み、明らかになったことがたくさんあります。そこで最近の調査、研究成果を踏...(2023年5月16日 文化財課)
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【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (4)高井田山古墳の被葬者像
それでは、高井田山古墳にはどのような人物が埋葬されたのでしょうか。武寧王陵のように、墓誌でも出てこなければ古墳に埋葬された人物を特定するのは困難です。し...(2023年5月12日 文化財課) -
【コラム】百済の王族が眠る? 高井田山古墳 (3)右片袖式石室と夫婦合葬
高井田山古墳に限らず、近畿地方の初期横穴式石室の多くが右片袖式石室の形態をとります。玄室から羨道を見て、右側に壁、左側に羨道が取り付く形態の横穴式石室を...(2023年5月11日 文化財課)