文化財課

  • 業務内容

    • 文化財の調査及び保存に関すること。
    • 指定文化財の管理及び指導に関すること。
    • 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
    • 歴史資料館に関すること。

新着情報一覧

  • 大和川つけかえと中甚兵衛~6~

    付け替え後の新田開発  旧大和川の一つ玉櫛川は、菱江川と吉田川に分かれ、東を北へ流れる吉田川は、その先で深野池に流れ込んでいました。大和川の付け替え...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 大和川つけかえと中甚兵衛~5~

    付け替え工事への参加  元禄13年(1700)、14年(1701)にも、今米村周辺で大洪水があったようです。14年には、今米村で米の収穫がなかったと...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 大和川つけかえと中甚兵衛~4~

    孤立する甚兵衛  貞享4年(1687)の1月ごろに出されたと考えられる「乍恐御訴訟」が、現存する唯一の付け替え嘆願書になります。そこには、「先年より...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 大和川つけかえと中甚兵衛~2~

    甚兵衛の前半生  中甚兵衛は、寛永16年(1639)に河内国河内郡今米村に生まれました。父の名を九兵衛などと書かれたものもありますが、現存する史料か...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 大和川つけかえと中甚兵衛~3~

    つけかえ運動への参加  万治3年(1660)に、幕府によって初めての大和川付け替え検分が行われました。前回のコラムで、大和川の付け替え運動は万治2年...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 大和川つけかえと中甚兵衛~1~

    中甚兵衛とは?   中甚兵衛は河内国河内郡今米村(現在の東大阪市今米1丁目)の生まれで、今米村の庄屋を務めながら、大和川の付け替え運動を中心となって...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(15)龍田古道の歴史といま

     大和川は、人々や物資の往来に古くから利用されていたと考えられますが、亀の瀬を船で通行するのは困難でした。川に沿った道も古くからありましたが、岩盤が川岸に...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(14)亀の瀬の地すべり

     亀の瀬は数万年前から地すべりを起こしていたようですが、江戸時代以前に地すべりの記録はみられません。しかし、明治36年(1903)、昭和6年(1931)、...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(13)亀瀬新道の開鑿

     柏原市青谷付近から上流の大和川は左岸(南岸)の断崖が川に迫っており、青谷から下流では右岸の岩塊が川に迫っていたため、それぞれ道をつけることができませんで...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(12)江戸時代の舟運と龍田古道

     江戸時代には舟運が盛んとなり、亀の瀬より下流を剣先船、上流を魚梁船が運行していました。亀の瀬は奇岩が多数露出し、滝もあったために船が遡ることはできません...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(11)大坂の陣と龍田古道

     平群郡で所領を得た片桐且元が、船で大坂へ米を運ぶために、慶長14年(1609)に亀の瀬の開鑿を行ったようです。しかし十分な開鑿ができず、その後も亀の瀬を...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(9)『万葉集』と龍田古道

     上宮聖徳皇子、竹原井に出遊でましし時に、竜田山の死人を見悲傷して作らす歌一首  家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ【巻3-41...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(10)信仰と龍田古道

     『万葉集』に「恐(かしこ)の坂」、『日本書紀』に「懼坂(かしこのさか)」とあるのは、龍田道の峠付近のことではないかとされています。峠は亀の瀬のすぐ東にあ...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(8)称徳天皇の行幸

     孝謙天皇のあと淳仁天皇が即位しましたが、藤原仲麻呂を後ろ盾とする淳仁天皇と、道鏡を寵愛する孝謙太上天皇の対立が表面化します。天平宝字8年(764)の藤原...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(7)孝謙天皇の行幸

     聖武天皇のあと、娘の阿倍内親王が孝謙天皇として即位しました。孝謙天皇として龍田道を初めて利用したのは、天平勝宝元年(749)10月の智識寺行幸のときでし...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(6)聖武天皇の行幸

     神亀2年(725)10月に、聖武天皇は難波宮に行幸しました。この際に龍田道を利用し、竹原井頓宮を利用したと考えられますが、記録には残っていません。  ...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(5)河内大橋と駅家

     『万葉集』巻9―1742・1743に、高橋虫麻呂の「河内大橋を独り行く娘子を見る歌」があります。「しなでる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ(後略)」...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(4)竹原井離宮と河内国分寺

     平城宮と難波宮の中間地点にあった竹原井離宮は、『続日本紀』に頓宮、離宮、行宮と記されています。『続日本紀』では頓宮・行宮と離宮・宮は明確に区別されていま...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(3)奈良時代の龍田古道

     710年に藤原京から奈良盆地北部の平城京に遷都されると、再び龍田道が脚光を浴びることになりました。奈良時代には、天皇がたびたび難波宮に行幸するようになり...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(2)飛鳥時代の龍田古道

     『日本書紀』神武即位前紀には、龍田道が狭く険しく人が並んで歩くことができない、とあります。山が迫る川沿いの道なので、十分な道幅を確保できなかったのでしょ...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 【コラム】龍田古道(1)龍田古道とは?

     奈良盆地の水を集めた大和川は、生駒山地と金剛山地のあいだを抜け、大阪平野へと流れ出します。この大和川に沿った山越えの道を「龍田道」あるいは「龍田越」とい...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 1.大和川の歴史

    大和川のおいたち  はるかな昔から大和川は洪水を繰り返し、とても長い時間をかけて大阪平野がつくられてきました。 2万年前<海がない>...
    (2022年2月25日 文化財課)
  • 壷井寺銅造菩薩立像

    名称(ふりがな) 壷井寺銅造菩薩立像(つぼいでらどうぞうぼさつりつぞう)   員数 1駆   時代 飛鳥・白鳳時...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • 東条墓地石造五輪塔

    名称(ふりがな) 東条墓地石造五輪塔(ひがんじょうぼちせきぞうごりんとう)   員数 1基   時代 鎌倉時代 ...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • 法善寺 壷井寺の鉦講

    名称(ふりがな) 法善寺 壷井寺の鉦講(ほうぜんじ つぼいでらのかねこう)   員数 1   時代 江戸時代 ...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • 安福寺横穴群

    名称(ふりがな) 安福寺横穴群(あんぷくじよこあなぐん)   員数 1群   時代 古墳時代   種...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • 三田家住宅

    名称(ふりがな) 三田家住宅(さんだけじゅうたく)   員数 主屋1棟、土蔵1棟(附 塀1棟、普請関係文書5点)   ...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • 寺田家住宅

    名称(ふりがな) 寺田家住宅(てらだけじゅうたく)   員数 主屋1棟、離れ1棟、内蔵1棟、土蔵1棟、米蔵1棟、南門1棟、東門1棟...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • カタシモワインフード貯蔵庫

    名称(ふりがな) カタシモワインフード貯蔵庫(かたしもわいんふーどちょぞうこ)   員数 1棟   時代 大正時...
    (2022年2月22日 文化財課)
  • 玉手橋

    名称(ふりがな) 玉手橋(たまてばし)   員数 1基   時代 昭和時代   種別(指定番号) ...
    (2022年2月22日 文化財課)