文化・スポーツ

  • 三田家と寺田家8

     寺田家と柏原船  寺田家は「北条屋」の屋号をもち、志紀郡北条村(現在の藤井寺市北條町)から今町に移り住んだようですが、くわしいことはわかっていませ...
    (2018年4月24日 文化財課)
  • 三田家と寺田家7

    建築から250年を迎えた三田家住宅  寛永17年(1640)に今町に移り住んだ三田家は、明和3年(1766)から5年にかけて建物の普請を行いました。...
    (2018年4月16日 文化財課)
  • 三田家と寺田家6

    浄久と『河内鑑名所記』  三田浄久(1608~88)は、名著『河内鑑名所記(かわちかがみめいしょき)』の著者でもあります。17世紀後半になると、各地...
    (2018年4月11日 文化財課)
  • 三田家と寺田家5

    三田浄久の活躍  三田家の初代三田浄久(1608~88)が、武家であった水野家の血を引くことは、「2.三田家は武家だった」で述べたところですが、浄久...
    (2018年4月8日 文化財課)
  • 三田家と寺田家4

    柏原船の運航と今町の成立  代官末吉孫左衛門長方(~1639)の尽力によって、寛永13年(1636)から平野川での船の運航が幕府に認められました。江...
    (2018年4月5日 文化財課)
  • 三田家と寺田家3

    柏原村の洪水  ここでは、今町が成立することになった地元の事情を見ておきたいと思います。「河州志紀郡柏原村荒地開新町取立大坂より船致上下候様子書」(...
    (2018年4月1日 文化財課)
  • 三田家と寺田家2

    三田家は武家だった  三田家の初代・三田浄久は、柏原船の営業に参加するために寛永17年(1640)に大坂伏見の呉服町から柏原村に移り住むことになりま...
    (2018年3月28日 文化財課)
  • 三田家と寺田家1

    今町と三田家・寺田家  江戸時代の宝永元年(1704)に、大和川は柏原から西へと付け替えられました。それまでの大和川は、柏原から北北西へと流れ、その...
    (2018年3月25日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺10

    夾紵棺の今後  安福寺の夾紵棺が聖徳太子の棺の一部なのかどうか。まず、聖徳太子の夾紵棺の実物を確認することが必要となります。現在のところ、叡福寺には...
    (2018年3月20日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺9

    安福寺と叡福寺  安福寺の夾紵棺が聖徳太子の棺の一部である可能性があることを指摘しましたが、いくら近いとはいえ、安福寺と叡福寺とは直線距離で5kmも...
    (2018年3月12日 文化財課)