文化・スポーツ

  • ~天井川と洪水1~

    どうして天井川になるのか?  川底が、まわりの土地よりも高い川を天井川といいます。川の流れによって運ばれてきた土砂が堆積し、川底が周囲よりも高くなっ...
    (2017年9月18日 文化財課)
  • ~河内大橋10~

    「河内大橋」を想う  竜田道で山越えをすると、眼下に大阪平野が広がります。この景色は、今でも見る者の心をなごませますが、奈良時代にはもっと美しい景色...
    (2017年7月25日 文化財課)
  • ~河内大橋9~

    知識の活躍  「河内大橋」を改修したのが知識であったことから、架橋したのも知識だったのではないかと考えました。「家原邑知識経」にみえる知識の名は、伯...
    (2017年7月17日 文化財課)
  • ~河内大橋8~

    行幸路の変遷  奈良時代には、竜田道から渋河道が、平城宮から難波宮への行幸路として利用されました。竜田道は、もともと竜田大社の前を通って大和川右岸を...
    (2017年7月9日 文化財課)
  • ~河内大橋7~

    河内大橋はだれが架けたのか?  それでは、これほど大きな立派な橋を造ったのはだれだったのでしょうか。古代には、橋は基本的に国が架けることになっていま...
    (2017年7月2日 文化財課)
  • ~河内大橋6~

    河内大橋はいつ架けられた?  「家原邑知識経」から、河内大橋は天平11年(739)以前に架けられており、天平11年には、かなり傷んでいたと考えられま...
    (2017年6月25日 文化財課)
  • ~河内大橋5~

    河内大橋はどこに?  それでは、「河内大橋」はどこに架けられていたのでしょうか。その位置については、(1)大和川と石川の合流点の北、大和川付け替え地...
    (2017年6月18日 文化財課)
  • ~河内大橋4~

    医王寺の『大般若経』  『万葉集』以外に、「河内大橋」に関わると思われる史料が一つだけあります。和歌山県伊都郡かつらぎ町にある医王寺にかつて所蔵され...
    (2017年6月13日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮10~

    竹原井頓宮の最後  竹原井頓宮について記された最後の史料は、宝亀2年(771)に光仁天皇が竹原井行宮を利用した『続日本紀』の記録です。2月21日に龍...
    (2017年6月9日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮9~

    竹原井頓宮の変遷  養老元年(717)に初めて登場する竹原井頓宮は、天平16年までには竹原井離宮と呼ばれるようになったようです。それが、宝亀2年(7...
    (2017年6月5日 文化財課)