文化・スポーツ

  • 三田家と寺田家4

    柏原船の運航と今町の成立  代官末吉孫左衛門長方(~1639)の尽力によって、寛永13年(1636)から平野川での船の運航が幕府に認められました。江...
    (2018年4月5日 文化財課)
  • 三田家と寺田家3

    柏原村の洪水  ここでは、今町が成立することになった地元の事情を見ておきたいと思います。「河州志紀郡柏原村荒地開新町取立大坂より船致上下候様子書」(...
    (2018年4月1日 文化財課)
  • 三田家と寺田家2

    三田家は武家だった  三田家の初代・三田浄久は、柏原船の営業に参加するために寛永17年(1640)に大坂伏見の呉服町から柏原村に移り住むことになりま...
    (2018年3月28日 文化財課)
  • 三田家と寺田家1

    今町と三田家・寺田家  江戸時代の宝永元年(1704)に、大和川は柏原から西へと付け替えられました。それまでの大和川は、柏原から北北西へと流れ、その...
    (2018年3月25日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺10

    夾紵棺の今後  安福寺の夾紵棺が聖徳太子の棺の一部なのかどうか。まず、聖徳太子の夾紵棺の実物を確認することが必要となります。現在のところ、叡福寺には...
    (2018年3月20日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺9

    安福寺と叡福寺  安福寺の夾紵棺が聖徳太子の棺の一部である可能性があることを指摘しましたが、いくら近いとはいえ、安福寺と叡福寺とは直線距離で5kmも...
    (2018年3月12日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺8

    聖徳太子の棺か  安福寺周辺では、終末期古墳は発見されていません。まして夾紵棺が皇族クラスしか使用できなかったと考えると、候補になるのは、用明陵や推...
    (2018年3月4日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺7

    叡福寺北古墳(聖徳太子墓)  安福寺の夾紵棺は、聖徳太子(厩戸皇子)の棺ではないかという説があります。そこで、聖徳太子の古墳とされる叡福寺北古墳につ...
    (2018年2月26日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺6

    安福寺の宝物  安福寺には、尾張徳川家から贈られたものなど多数の宝物が所蔵されています。しかし、これまでに十分な調査が行われていないため、まだまだ隠...
    (2018年2月20日 文化財課)
  • 安福寺の夾紵棺5

    安福寺の歴史  夾紵棺の話はしばらくおいて、ここでは夾紵棺を所蔵している安福寺という寺院について紹介したいと思います。安福寺は、柏原市玉手にある浄土...
    (2018年2月12日 文化財課)