文化・スポーツ

  • 柏原船8

    寺田家と柏原船  寺田家も今町にあり、柏原船の営業に参加していました。建物は奈良街道の東側にあり、主屋、離れ、内蔵、土蔵、米蔵、南門、東門の7棟の建...
    (2017年3月14日 文化財課)
  • 柏原船6

    柏原船のすがた  水深が浅く、幅の狭い川を運行するため、船は平底で小さいものでなければなりませんでした。大和川を運航していた剣先船は、舳先が剣のよう...
    (2017年2月22日 文化財課)
  • 柏原船4

    大坂組の参加  柏原船の営業が開始されたころ、大阪市中の川筋には、上荷船(うわにぶね)・茶船(ちゃぶね)と呼ばれる川船が運航していました。上荷船・茶...
    (2017年2月7日 文化財課)
  • 柏原船3

    柏原船運航開始  柏原船は、株式組織で運営されました。船仲間を組織し、船の建造などの準備を進めたうえで、寛永13年(1636)の秋から営業を開始しま...
    (2017年1月25日 文化財課)
  • 柏原船2

    柏原船の運航へ  柏原村が二度の洪水に襲われたころ、村は幕府領で、平野の末吉孫左衛門長方が代官を勤めていました。孫左衛門は、柏原村を自力で復興させる...
    (2017年1月16日 文化財課)
  • 柏原船1

    くり返される洪水  今の大和川は、宝永元年(1704)に付け替えられた人工の川であることは、みなさんご存知のことと思います。付け替え前の大和川は、現...
    (2017年1月10日 文化財課)
  • 堤を築く10

    大和川のつけかえ工事  堤防の発掘調査成果から、大和川のつけかえ工事の実態について考えてきました。つけかえ工事は、宝永元年(1704)の2月から10...
    (2016年11月7日 文化財課)
  • 堤を築く8

    土を積む  小山平塚遺跡の調査では、堤防の盛土に良質の粘土が使用されていました。しかし、船橋遺跡や長原遺跡では、砂質土が積み上げられていました。「川...
    (2016年10月25日 文化財課)
  • 2.松岳山古墳群

    それぞれの古墳 古墳一覧表 船氏王後墓誌 松岳山古墳群の変遷と玉手山古墳群 松岳山古墳群の造営集団  松岳山古墳群(まつお...
    (2016年10月25日 文化財課)
  • 堤を築く7

    堤の形と大きさ  長原遺跡では、カマボコ状の堤防だったのではないかとされていますが、ほかの3箇所で確認された堤防は、いずれも美しい台形断面でした。長...
    (2016年10月17日 文化財課)