文化財課
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業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
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姫路藩 播磨国姫路藩は、世界遺産姫路城で有名な兵庫県姫路市にあった15万石の藩です。慶長5年(1600)に池田輝政が播磨国に52万石余りで三河吉田...(2018年10月14日 文化財課)
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工事が早くできた理由・3 工事を早く終えることができた三つめの理由として、工事区間を分割して一斉に工事に着手したことがあげられます。現在の道路や鉄...(2018年10月7日 文化財課)
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智識寺の次に記載されている山下寺は、大県4丁目にある健康福祉センター「オアシス」東方の「大県南廃寺」がその遺跡にあたると考えられています。大県廃寺、鳥坂...(2018年9月23日 文化財課)
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工事が早くできた理由・2 工事を早く終えることができた二つめの理由として、大勢の人を雇用できる体制があったことをあげておきたいと思います。付け替え...(2018年9月23日 文化財課)
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工事が早くできた理由・1 長さ14km余り、川幅180m、堤防と左岸堤防に平行して掘られた落堀川を合わせると幅260mもの大きな川を造る工事が、わ...(2018年9月16日 文化財課)
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大和川の付け替え工事 元禄16年(1703)10月28日、大和川の付け替えが正式に発表され、普請奉行として大久保甚兵衛忠香と伏見主水為信、助役とし...(2018年9月7日 文化財課)
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平成30年8月13日、国際かんがい排水委員会による第69回国際執行理事会において「大和川分水築留掛かり(やまとがわぶんすいつきどめかかり)」が世界かんが...(2018年8月15日 文化財課)
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亀瀬新道 江戸時代に、大阪方面から奈良街道を奈良へ向かうと、国豊橋のところで大和川を右岸から左岸へ渡らなければなりません。そこから東へ進むと、芝山...(2018年8月13日 文化財課)
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国豊橋と新大和橋 明治になると、道路や鉄道などの交通も次第に整備されるようになりました。大阪から奈良へと向かう亀瀬越奈良街道の高井田村と国分村のあ...(2018年8月7日 文化財課)
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太陽暦の採用 太陽の動きを基準とする暦を太陽暦といいます。現在の暦は太陽暦ですが、日本では、明治5年(1872)まで天保暦とよばれる太陰太陽暦を使...(2018年7月30日 文化財課)
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神仏分離令 日本では奈良時代から神仏習合として、神道と仏教は混然としていました。仏像を祀っている神社や、神社境内に神宮寺があるところもたくさんあり...(2018年7月24日 文化財課)
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最後の一揆 幕末の混乱は、国分村にも少なからぬ影響を与えました。慶応2年(1866)、河内で最後の一揆といわれる騒動が起こりました。米価の高騰に困...(2018年7月15日 文化財課)
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当館が所蔵する実物資料や写真資料の貸出、資料の撮影などには、申請書が必要となります。申請書に必要事項を記入、捺印の上、郵送または歴史資料館の窓口まで持参...(2018年7月10日 文化財課)
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教育 江戸時代に子供たちが「寺子屋」で、よみ・かき・そろばんなどを学んだことはよく知られています。柏原市域では、明治元年(1868)の時点で、柏原...(2018年7月10日 文化財課)
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天誅組と新選組 幕末から明治への混乱の時代、尊王攘夷を叫び幕府を倒そうとする人、幕府を守ろうとする人などさまざまな考えを持った人々が、自らの意見を...(2018年6月25日 文化財課)
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水野家文書-三田家のはじまり- 展示期間 平成30年3月27日(火)~6月10日(日) 概要 柏原市今町の三田(さんだ)家に代々...(2018年6月17日 文化財課)
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高札 江戸時代に、幕府や藩が民衆に知らしめるため、法令や禁令を墨で書いた板を掲示しました。これを高札(こうさつ)といいます。親子兄弟札、毒薬札、駄...(2018年6月10日 文化財課)
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明治維新とは 「明治」と呼ばれる時代が始まったのは、1868年のことです。今年で150年になりますが、柏原の人々は、明治という時代をどのように迎え...(2018年6月10日 文化財課)
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柏原市では、柏原市立歴史資料館及び史跡高井田横穴公園の円滑な運営と効率的な活用を図り、郷土の文化的遺産を広く公共の利用に供し、市民の教育文化の向上に資す...(2018年5月18日 文化財課)
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文化の興隆と今町 三田浄久と子の久次によって、今町を中心に俳諧などの文化が広まりました。その後も、江戸時代を通じて各地との交流があったため、文化的...(2018年5月6日 文化財課)
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昭憲皇后が訪れた寺田家 寺田家住宅は、奈良街道に面して東側にあり、東西に長い敷地をもちます。敷地の中央付近に南北方向の水路があり、これより東側は一...(2018年4月29日 文化財課)
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寺田家と柏原船 寺田家は「北条屋」の屋号をもち、志紀郡北条村(現在の藤井寺市北條町)から今町に移り住んだようですが、くわしいことはわかっていませ...(2018年4月24日 文化財課)
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建築から250年を迎えた三田家住宅 寛永17年(1640)に今町に移り住んだ三田家は、明和3年(1766)から5年にかけて建物の普請を行いました。...(2018年4月16日 文化財課)
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浄久と『河内鑑名所記』 三田浄久(1608~88)は、名著『河内鑑名所記(かわちかがみめいしょき)』の著者でもあります。17世紀後半になると、各地...(2018年4月11日 文化財課)
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三田浄久の活躍 三田家の初代三田浄久(1608~88)が、武家であった水野家の血を引くことは、「2.三田家は武家だった」で述べたところですが、浄久...(2018年4月8日 文化財課)
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柏原船の運航と今町の成立 代官末吉孫左衛門長方(~1639)の尽力によって、寛永13年(1636)から平野川での船の運航が幕府に認められました。江...(2018年4月5日 文化財課)