文化財課
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業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
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教育 江戸時代に子供たちが「寺子屋」で、よみ・かき・そろばんなどを学んだことはよく知られています。柏原市域では、明治元年(1868)の時点で、柏原...(2018年7月10日 文化財課)
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天誅組と新選組 幕末から明治への混乱の時代、尊王攘夷を叫び幕府を倒そうとする人、幕府を守ろうとする人などさまざまな考えを持った人々が、自らの意見を...(2018年6月25日 文化財課)
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水野家文書-三田家のはじまり- 展示期間 平成30年3月27日(火)~6月10日(日) 概要 柏原市今町の三田(さんだ)家に代々...(2018年6月17日 文化財課)
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高札 江戸時代に、幕府や藩が民衆に知らしめるため、法令や禁令を墨で書いた板を掲示しました。これを高札(こうさつ)といいます。親子兄弟札、毒薬札、駄...(2018年6月10日 文化財課)
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明治維新とは 「明治」と呼ばれる時代が始まったのは、1868年のことです。今年で150年になりますが、柏原の人々は、明治という時代をどのように迎え...(2018年6月10日 文化財課)
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柏原市では、柏原市立歴史資料館及び史跡高井田横穴公園の円滑な運営と効率的な活用を図り、郷土の文化的遺産を広く公共の利用に供し、市民の教育文化の向上に資す...(2018年5月18日 文化財課)
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文化の興隆と今町 三田浄久と子の久次によって、今町を中心に俳諧などの文化が広まりました。その後も、江戸時代を通じて各地との交流があったため、文化的...(2018年5月6日 文化財課)
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昭憲皇后が訪れた寺田家 寺田家住宅は、奈良街道に面して東側にあり、東西に長い敷地をもちます。敷地の中央付近に南北方向の水路があり、これより東側は一...(2018年4月29日 文化財課)
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寺田家と柏原船 寺田家は「北条屋」の屋号をもち、志紀郡北条村(現在の藤井寺市北條町)から今町に移り住んだようですが、くわしいことはわかっていませ...(2018年4月24日 文化財課)
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建築から250年を迎えた三田家住宅 寛永17年(1640)に今町に移り住んだ三田家は、明和3年(1766)から5年にかけて建物の普請を行いました。...(2018年4月16日 文化財課)
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浄久と『河内鑑名所記』 三田浄久(1608~88)は、名著『河内鑑名所記(かわちかがみめいしょき)』の著者でもあります。17世紀後半になると、各地...(2018年4月11日 文化財課)
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三田浄久の活躍 三田家の初代三田浄久(1608~88)が、武家であった水野家の血を引くことは、「2.三田家は武家だった」で述べたところですが、浄久...(2018年4月8日 文化財課)
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柏原船の運航と今町の成立 代官末吉孫左衛門長方(~1639)の尽力によって、寛永13年(1636)から平野川での船の運航が幕府に認められました。江...(2018年4月5日 文化財課)
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柏原村の洪水 ここでは、今町が成立することになった地元の事情を見ておきたいと思います。「河州志紀郡柏原村荒地開新町取立大坂より船致上下候様子書」(...(2018年4月1日 文化財課)
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三田家は武家だった 三田家の初代・三田浄久は、柏原船の営業に参加するために寛永17年(1640)に大坂伏見の呉服町から柏原村に移り住むことになりま...(2018年3月28日 文化財課)
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今町と三田家・寺田家 江戸時代の宝永元年(1704)に、大和川は柏原から西へと付け替えられました。それまでの大和川は、柏原から北北西へと流れ、その...(2018年3月25日 文化財課)
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夾紵棺の今後 安福寺の夾紵棺が聖徳太子の棺の一部なのかどうか。まず、聖徳太子の夾紵棺の実物を確認することが必要となります。現在のところ、叡福寺には...(2018年3月20日 文化財課)
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安福寺と叡福寺 安福寺の夾紵棺が聖徳太子の棺の一部である可能性があることを指摘しましたが、いくら近いとはいえ、安福寺と叡福寺とは直線距離で5kmも...(2018年3月12日 文化財課)
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聖徳太子の棺か 安福寺周辺では、終末期古墳は発見されていません。まして夾紵棺が皇族クラスしか使用できなかったと考えると、候補になるのは、用明陵や推...(2018年3月4日 文化財課)
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叡福寺北古墳(聖徳太子墓) 安福寺の夾紵棺は、聖徳太子(厩戸皇子)の棺ではないかという説があります。そこで、聖徳太子の古墳とされる叡福寺北古墳につ...(2018年2月26日 文化財課)
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安福寺の宝物 安福寺には、尾張徳川家から贈られたものなど多数の宝物が所蔵されています。しかし、これまでに十分な調査が行われていないため、まだまだ隠...(2018年2月20日 文化財課)
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安福寺の歴史 夾紵棺の話はしばらくおいて、ここでは夾紵棺を所蔵している安福寺という寺院について紹介したいと思います。安福寺は、柏原市玉手にある浄土...(2018年2月12日 文化財課)
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安福寺の夾紵棺 安福寺の夾紵棺が、どのようにして安福寺に伝わったのか、まったくわかっていません。先代の住職が寺の床下でみつけ、夾紵棺だとは知らずに...(2018年2月5日 文化財課)
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夾紵棺の事例 これまでに夾紵棺が出土した古墳は7基で、安福寺の夾紵棺を含むと8例となります。ただし、叡福寺北古墳には複数の夾紵棺が納められていたと...(2018年1月29日 文化財課)
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夾紵棺とは 終末期古墳の棺として、漆塗りの棺が登場します。6世紀までは見られなかった棺です。漆塗りの棺には、布を重ねた夾紵棺以外に、木棺の表面に漆...(2018年1月23日 文化財課)
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終末期古墳とは 柏原市玉手の安福寺に、夾紵棺(きょうちょかん)の一部が所蔵されています。夾紵棺とは、何枚もの布を漆で塗り固めて作られた棺です。この...(2018年1月17日 文化財課)
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和気清麻呂の大和川付け替え 展示期間 平成29年9月12日(火)~12月28日(木) 概要 大和川の付け替えに関係した人物といえ...(2018年1月7日 文化財課)