文化財課

  • 業務内容

    • 文化財の調査及び保存に関すること。
    • 指定文化財の管理及び指導に関すること。
    • 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
    • 歴史資料館に関すること。

新着情報一覧

  • ~河内大橋6~

    河内大橋はいつ架けられた?  「家原邑知識経」から、河内大橋は天平11年(739)以前に架けられており、天平11年には、かなり傷んでいたと考えられま...
    (2017年6月25日 文化財課)
  • ~河内大橋5~

    河内大橋はどこに?  それでは、「河内大橋」はどこに架けられていたのでしょうか。その位置については、(1)大和川と石川の合流点の北、大和川付け替え地...
    (2017年6月18日 文化財課)
  • ~河内大橋4~

    医王寺の『大般若経』  『万葉集』以外に、「河内大橋」に関わると思われる史料が一つだけあります。和歌山県伊都郡かつらぎ町にある医王寺にかつて所蔵され...
    (2017年6月13日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮10~

    竹原井頓宮の最後  竹原井頓宮について記された最後の史料は、宝亀2年(771)に光仁天皇が竹原井行宮を利用した『続日本紀』の記録です。2月21日に龍...
    (2017年6月9日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮9~

    竹原井頓宮の変遷  養老元年(717)に初めて登場する竹原井頓宮は、天平16年までには竹原井離宮と呼ばれるようになったようです。それが、宝亀2年(7...
    (2017年6月5日 文化財課)
  • ~河内大橋3~

    高橋虫麻呂とは  「河内大橋」の歌の作者は高橋虫麻呂と考えられます。実は、1742、1743番の歌の作者がだれであるのか書かれていません。しかし、こ...
    (2017年6月5日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮8~

    もう一つの行宮  柏原市域には、竹原井頓宮とは別の奈良時代の行宮がありました。智識寺南行宮(ちしきじみなみのあんぐう)です。『続日本紀』によると、天...
    (2017年5月29日 文化財課)
  • ~河内大橋2~

    「河内大橋」の歌を詠み解く  歌の前に、その歌が詠まれた事情などを書いた部分を題詞といいます。「河内大橋」の歌では、歌のなかではなく、題詞に「河内大...
    (2017年5月29日 文化財課)
  • ~河内大橋1~

    『万葉集』に詠まれた「河内大橋」  今から1,300年ほど前、河内大橋という橋があったのをご存知でしょうか。古代の和歌を集めた『万葉集』に「河内大橋...
    (2017年5月24日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮7~

    河内国分寺跡  青谷遺跡の大和川対岸に河内国分寺跡があります。国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇の発願によって国ごとに建立されることになりまし...
    (2017年5月22日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮6~

    青谷式軒瓦  瓦葺きの建物は、屋根に平瓦と丸瓦が一列ずつ交互に葺かれ、軒先は軒丸瓦と軒平瓦で飾られます。青谷遺跡からは数種類の軒丸瓦が出土しています...
    (2017年5月15日 文化財課)
  • 柏原市立歴史資料館等運営協議会会議の開催

     柏原市では、柏原市立歴史資料館及び史跡高井田横穴公園の円滑な運営と効率的な活用を図り、郷土の文化的遺産を広く公共の利用に供し、市民の教育文化の向上に資す...
    (2017年5月14日 文化財課)
  • 特集展示「柏原船」

    柏原船 展示期間 平成29年1月4日(水)~4月23日(日) 概要  江戸時代から明治のはじめにかけて、柏原村と大坂の間を行き交う...
    (2017年5月13日 文化財課)
  • 6-1.発掘調査された古墳

    平野・大県支群 安堂支群 雁多尾畑支群 太平寺支群 平尾山古墳群 8つの支群 平野・大県支群  古墳群の中で...
    (2017年5月13日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮5~

    青谷遺跡の調査より  塚口義信先生が竹原井頓宮跡ではないかと考えられた青谷廃寺で、昭和59年(1984)にゴルフ練習場の建設計画があり、調査を実施す...
    (2017年5月8日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮4~

    史料からみた竹原井頓宮  『続日本紀』に竹原井頓宮が見えるのは、養老元年(717)、天平6年(734)、天平16年(744)、宝亀2年(771)の4...
    (2017年5月1日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮3~

    奈良時代の離宮  行幸の際に天皇が宿泊した仮の宮を、『続日本紀』では離宮、宮、頓宮、行宮などと表記しています。『続日本紀』に複数回登場する離宮などに...
    (2017年4月24日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮2~

    奈良時代の行幸  天皇がお出かけになることを行幸といいます。これは今も昔も同じです。古代の天皇もたびたび行幸を行っています。その目的は、政治的目的、...
    (2017年4月17日 文化財課)
  • ~竹原井頓宮1~

    竹原井頓宮とは  竹原井頓宮(たかはらいのとんぐう)とは、奈良時代に柏原市内にあったと考えられている天皇の仮の宮のことです。養老元年(717)2月、...
    (2017年4月10日 文化財課)
  • 柏原船10

    柏原船の最後  旧大和川を運航していた剣先船は、宝永元年(1704)の大和川付け替えによって、付け替え地点となった築留から上流へ遡ることができなくな...
    (2017年3月31日 文化財課)
  • 7-1.平尾山古墳群

     柏原市東部の山間部に広がる平尾山古墳群は、これまでに1,407基の古墳が確認されている全国最大規模の群集墳です。6世紀代で造営を終える群集墳が多いなか、...
    (2017年3月24日 文化財課)
  • 7-3.誉田山古墳群

     柏原市と羽曳野市にまたがる古墳群で、西名阪自動車道の南側に広がっています。鉢伏山から北へのびる尾根上に50基前後の古墳が存在したようです。大半が横穴式石...
    (2017年3月24日 文化財課)
  • 7-4.安福寺所蔵夾紵棺

     夾紵棺(きょうちょかん)とは木または土を原型にし、それに布をあて、漆を塗りながら布を貼り重ねて造られた棺で、乾漆棺ともいわれています。表面は丁寧に黒漆な...
    (2017年3月24日 文化財課)
  • 7-2.田辺古墳群

     西へとのびる尾根の南斜面で発見された終末期群集墳であり、そこから西へ50mの地点からは墳墓群も発見されています。西側一帯には旧石器時代から近世に至る田辺...
    (2017年3月24日 文化財課)
  • 7.終末期群集墳

    終末期群集墳の特色 柏原市の終末期群集墳 平尾山古墳群 田辺古墳群 誉田山古墳群 安福寺所蔵夾紵棺 ...
    (2017年3月24日 文化財課)
  • 柏原船8

    寺田家と柏原船  寺田家も今町にあり、柏原船の営業に参加していました。建物は奈良街道の東側にあり、主屋、離れ、内蔵、土蔵、米蔵、南門、東門の7棟の建...
    (2017年3月14日 文化財課)
  • 6.後期群集墳

    群集墳とは 平尾山古墳群 群集墳とは  群集墳とは小規模な古墳が群集して密集度の高い古墳群をいいます。古墳時代後期(6世紀)に最...
    (2017年3月10日 文化財課)
  • 柏原船7

    三田家と柏原船  三田家は、柏原市今町に明和年間(1760年代)の建物が残っており、国の重要文化財に指定されています。今町三田家の初代三田浄久が、寛...
    (2017年3月6日 文化財課)
  • 柏原船6

    柏原船のすがた  水深が浅く、幅の狭い川を運行するため、船は平底で小さいものでなければなりませんでした。大和川を運航していた剣先船は、舳先が剣のよう...
    (2017年2月22日 文化財課)
  • 柏原船5

    運航の実態  船持は、株として船を所有しているだけで、実施には船年寄が営業を取り仕切り、大坂天満の船乗に船を預けていました。柏原、平野、天満には船会...
    (2017年2月15日 文化財課)