文化財課
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業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
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横穴公園内には、第2~4支群の129基の横穴が保存されています。その中で、25基の横穴は、門扉越しですが、内部を見学できるようにしています。園内にある遊...(2017年2月7日 文化財課)
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玉手山は、大和川と石川の合流点近くを北限とする、標高100m前後の小丘陵です。安福寺横穴群は玉手山丘陵の西斜面、玉手山東横穴群は東斜面にあり、ともに玉手...(2017年2月7日 文化財課)
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柏原市太平寺にあり、6基が確認されたものの、道路建設によって破壊されています。市内の他の横穴群は凝灰岩層に営まれていますが、太平寺横穴群は花崗岩層です...(2017年2月7日 文化財課)
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玉手山は、大和川と石川の合流点近くを北限とする、標高100m前後の小丘陵です。安福寺横穴群は玉手山丘陵の西斜面、玉手山東横穴群は東斜面にあり、ともに玉手...(2017年2月7日 文化財課)
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5世紀頃に巨大化した古墳は、6世紀になると各地で小型の古墳が爆発的に築かれるようになり、埋葬施設として横穴式石室が採用されました。これらの小型古墳は密集...(2017年1月29日 文化財課)
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高井田山古墳は、歴史資料館に隣接する史跡高井田横穴公園内にある古墳です。公園の北東部、最高所に位置し、周辺の樹木がなければ、大和川を眼下に見下ろすことが...(2017年1月29日 文化財課)
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5世紀前半~中ごろの玉手山遺跡 丘陵の北端周辺には古墳時代中期から後期にかけての古墳が少なからず存在したらしく、1984年に古墳時代中期前半ごろの...(2017年1月29日 文化財課)
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寺の造成時に壊された古墳 僧房の西側や、高井田遺跡の尾根上にあった5~6世紀の古墳は、7世紀後半ごろの造成時に破壊されていました。塔のある天湯川田神社...(2016年11月15日 文化財課)
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大和川のつけかえ工事 堤防の発掘調査成果から、大和川のつけかえ工事の実態について考えてきました。つけかえ工事は、宝永元年(1704)の2月から10...(2016年11月7日 文化財課)
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せめて刈り取りまで 丹北郡城蓮寺村(松原市城蓮寺)には、麦畑が広がっていました。ここでも大和川の工事が迫っていたため、村人はまだ熟していない青麦ま...(2016年10月31日 文化財課)
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土を積む 小山平塚遺跡の調査では、堤防の盛土に良質の粘土が使用されていました。しかし、船橋遺跡や長原遺跡では、砂質土が積み上げられていました。「川...(2016年10月25日 文化財課)
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松岳山古墳(国史跡)は墳丘長130mの前方後円墳です。板状の石を積み上げて築かれた墳丘、大きな石を組み合わせた石棺とその前後に立つ孔の開いた立石、大きな...(2016年10月23日 文化財課)
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松岳山古墳の西に、直径が20m余りの円墳とされる古墳がありました。耕作の際に板石が掘り出されることがあったということから、竪穴式石室の存在が推定されてい...(2016年10月23日 文化財課)
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茶臼塚古墳は、松岳山古墳の西側に接するように築かれていた長方形墳です。埋葬施設は竪穴式石室で、豊富な副葬品が出土しています。 1984年12月、...(2016年10月23日 文化財課)
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松岳山古墳の東はヌク谷と呼ばれ、北塚・南塚など5基以上の古墳があったらしく、中でも最も西にあったのがヌク谷北塚古墳です。この古墳は、1961年、宅地造成...(2016年10月23日 文化財課)
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ヌク谷北塚古墳のすぐ南にある直径11mの円墳です。西は松岳山古墳に接し、その墳裾の壇状遺構がこの部分まであったとすると、重なってしまう位置関係にあります...(2016年10月23日 文化財課)
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ヌク谷東ノ大塚古墳は、北塚古墳・南塚古墳のすぐ東の直径約30mの円墳とされています。 梅原氏の報告では、円筒埴輪片が多数散布し、墳裾には板石が石垣状...(2016年10月23日 文化財課)
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船氏王後首の経歴などを記録した銅製の墓誌です。江戸時代に松岳山の丘陵から出土したという伝承や記述がありますが、出土地点や、いつ発見されたのかは不明です。...(2016年10月23日 文化財課)