文化財課
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業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
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大和川のつけかえ工事 堤防の発掘調査成果から、大和川のつけかえ工事の実態について考えてきました。つけかえ工事は、宝永元年(1704)の2月から10...(2016年11月7日 文化財課)
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せめて刈り取りまで 丹北郡城蓮寺村(松原市城蓮寺)には、麦畑が広がっていました。ここでも大和川の工事が迫っていたため、村人はまだ熟していない青麦ま...(2016年10月31日 文化財課)
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土を積む 小山平塚遺跡の調査では、堤防の盛土に良質の粘土が使用されていました。しかし、船橋遺跡や長原遺跡では、砂質土が積み上げられていました。「川...(2016年10月25日 文化財課)
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松岳山古墳(国史跡)は墳丘長130mの前方後円墳です。板状の石を積み上げて築かれた墳丘、大きな石を組み合わせた石棺とその前後に立つ孔の開いた立石、大きな...(2016年10月23日 文化財課)
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松岳山古墳の西に、直径が20m余りの円墳とされる古墳がありました。耕作の際に板石が掘り出されることがあったということから、竪穴式石室の存在が推定されてい...(2016年10月23日 文化財課)
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松岳山古墳の東はヌク谷と呼ばれ、北塚・南塚など5基以上の古墳があったらしく、中でも最も西にあったのがヌク谷北塚古墳です。この古墳は、1961年、宅地造成...(2016年10月23日 文化財課)
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ヌク谷北塚古墳のすぐ南にある直径11mの円墳です。西は松岳山古墳に接し、その墳裾の壇状遺構がこの部分まであったとすると、重なってしまう位置関係にあります...(2016年10月23日 文化財課)
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ヌク谷東ノ大塚古墳は、北塚古墳・南塚古墳のすぐ東の直径約30mの円墳とされています。 梅原氏の報告では、円筒埴輪片が多数散布し、墳裾には板石が石垣状...(2016年10月23日 文化財課)
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船氏王後首の経歴などを記録した銅製の墓誌です。江戸時代に松岳山の丘陵から出土したという伝承や記述がありますが、出土地点や、いつ発見されたのかは不明です。...(2016年10月23日 文化財課)
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茶臼塚古墳は、松岳山古墳の西側に接するように築かれていた長方形墳です。埋葬施設は竪穴式石室で、豊富な副葬品が出土しています。 1984年12月、...(2016年10月23日 文化財課)
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堤の形と大きさ 長原遺跡では、カマボコ状の堤防だったのではないかとされていますが、ほかの3箇所で確認された堤防は、いずれも美しい台形断面でした。長...(2016年10月17日 文化財課)
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墳丘長92mの前方後円墳と推定されていますが、詳細は不明です。1964年に北野耕平氏が一部で調査を実施し、その後、破壊され現存しません。 埋葬施設...(2016年10月16日 文化財課)
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3号墳の南西にある、墳丘長50m程度で比較的小規模な前方後円墳だったようです。十分な調査がされないまま、開発によって破壊されてしまいました。 埋葬...(2016年10月16日 文化財課)
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4号墳の南東にある前方後円墳です。こちらも破壊され現存しません。墳丘長は75mと推定されていますが、もう少し小さかった可能性もあります。埴輪がほとんど確...(2016年10月16日 文化財課)
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駒ヶ谷周辺について 玉手山丘陵の南側、駒ヶ谷周辺には3基以上の前方後円墳と数基の円墳が存在したようですが、駒ヶ谷宮山古墳以外は1960年代の開発に...(2016年10月16日 文化財課)
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6号墳のすぐ南の前方後円墳です。後円部は市立玉手山公園の東(国分側)入口を入ってすぐのところ、前方部は安福寺の境内にあります。2000年から02年の調査...(2016年10月16日 文化財課)
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墳丘長55mの前方後円墳とされます。1963年に木棺や銅鏡が露出しているのが発見され、翌年大阪大学によって調査が実施されています。 埋葬施設 ...(2016年10月16日 文化財課)
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7号墳から100mほど南の玉手山丘陵最高所に位置する前方後円墳です。墳丘東側は、貯水タンク設置などで地形が改変、西側は1982年以降の地滑りによって前方...(2016年10月16日 文化財課)
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玉手山丘稜の北端にあり、墳丘長110mの前方後円墳です。これまでに関西大学、大阪府教育委員会、柏原市教育委員会、大阪市立大学によって調査が実施されていま...(2016年10月16日 文化財課)
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1号墳の南、後円部に近接して築造された前方後円墳です。わずかに出土した埴輪から考えると、1号墳に若干先行するかと考えられますが、よくわかりません。墳丘長...(2016年10月16日 文化財課)
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5号墳の南にあった前方後円墳です。もともと後円部墳頂にらせん状の滑り台がありました。この古墳も1960年に関西大学が調査し、その後、造成により現存しませ...(2016年10月16日 文化財課)
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古墳群の南寄り、現在の西名阪自動車道の北側にあります。墳丘は全長64.6m、後円部直径33.2m、後円部高さ5.7m、前方部幅17.7m、前方部高さ2....(2016年10月16日 文化財課)
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柏原市老人福祉センター「やすらぎの園」の南にある前方後円墳で、勝負山古墳ともいいます。江戸時代には「松山」と呼ばれ、後円部墳頂に1本の大きな松があったよ...(2016年10月16日 文化財課)
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長原遺跡の調査より 1994年、右岸にある笠守樋の撤去に伴って、大阪市平野区川辺でも調査が行われています。笠守樋は、新大和川によって水脈が断たれた...(2016年10月12日 文化財課)
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小山平塚遺跡の調査より 1988年に藤井寺市小山の左岸堤防で、小山雨水ポンプ場建設に伴う発掘調査が実施されています。この調査は、大和川堤防の発掘調...(2016年9月29日 文化財課)