文化財課
-
業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
-
「大和川分水築留掛かり」と経済 旧大和川の久宝寺川を中心に、剣先(けんさき)船(ぶね)という船が行きかっていました。その名のとおり先端が剣のように...(2018年11月18日 文化財課)
-
「大和川分水築留掛かり」の組織 「大和川分水築留(つきどめ)掛(か)かり」は、付け替え翌年の宝永2年から動き出したと考えられますが、正式に「築留(...(2018年11月11日 文化財課)
-
柏原藩 丹波国柏原(かいばら)藩は、現在の兵庫県丹波市柏原町、もとの氷上郡柏原町にあたります。慶長3年(1598)に、織田信包(のぶかね)が伊勢国...(2018年11月11日 文化財課)
-
岸和田藩 和泉国岸和田藩は、大阪府岸和田市にあった藩です。豊臣秀吉のときに、中村一氏が岸和田城主になったことに始まります。中村氏のあと小出氏、松平...(2018年11月4日 文化財課)
-
「大和川分水築留掛かり」の維持管理 「大和川分水築留(つきどめ)掛(か)かり」の用水は、流域75か村によって維持管理されていました。当初は66か村...(2018年11月4日 文化財課)
-
三田藩 摂津国三田藩は、今の兵庫県三田市周辺にありました。天正10年(1582)に山崎片家が三田城主となったことに始まり、山崎氏のあと、有馬氏、松...(2018年10月28日 文化財課)
-
「大和川分水築留掛かり」の仕組み 「大和川分水築留(つきどめ)掛(か)かり」は、築留堤防に設けられた3基の取水(しゅすい)樋(ひ)によって、新大和...(2018年10月28日 文化財課)
-
山下寺の次に参拝された大里寺は、柏原市大県4丁目の大県廃寺がその遺跡と考えられています。「おおさとでら」と呼んでいますが、正しくは「だいりじ」の可能性も...(2018年10月21日 文化財課)
-
家原寺は、柏原市安堂町の安堂廃寺と推定されています。河内六寺最北端の三宅寺を参拝した後、折り返して南下し、智識寺南行宮の南に位置する家原寺に参拝したと思...(2018年10月21日 文化財課)
-
明石藩 播磨国明石藩は、今の兵庫県明石市を中心とした6万石の藩です。元和3年(1617)に、姫路城主の池田光政の所領から、十万石が小笠原忠真に与え...(2018年10月21日 文化財課)
-
「大和川分水築留掛かり」の誕生 付け替えまでの大和川は、付け替え地点からさらに北北西へと流れ、二俣で北西へと流れる久宝寺川と北へ流れる玉櫛川に分か...(2018年10月21日 文化財課)
-
なぜ、世界かんがい施設遺産に選ばれたのか? 長瀬川・玉串川を知っている人は、どうして世界かんがい施設遺産になったのだろう?と不思議に思われるかもし...(2018年10月14日 文化財課)
-
姫路藩 播磨国姫路藩は、世界遺産姫路城で有名な兵庫県姫路市にあった15万石の藩です。慶長5年(1600)に池田輝政が播磨国に52万石余りで三河吉田...(2018年10月14日 文化財課)
-
工事が早くできた理由・3 工事を早く終えることができた三つめの理由として、工事区間を分割して一斉に工事に着手したことがあげられます。現在の道路や鉄...(2018年10月7日 文化財課)
-
世界かんがい施設遺産とは? 世界遺産といえば、ユネスコが登録する世界文化遺産や世界自然遺産を思い浮かべる方が多いことでしょう。これらとは別に、世界...(2018年10月7日 文化財課)
-
智識寺の次に記載されている山下寺は、大県4丁目にある健康福祉センター「オアシス」東方の「大県南廃寺」がその遺跡にあたると考えられています。大県廃寺、鳥坂...(2018年9月23日 文化財課)
-
工事が早くできた理由・2 工事を早く終えることができた二つめの理由として、大勢の人を雇用できる体制があったことをあげておきたいと思います。付け替え...(2018年9月23日 文化財課)
-
工事が早くできた理由・1 長さ14km余り、川幅180m、堤防と左岸堤防に平行して掘られた落堀川を合わせると幅260mもの大きな川を造る工事が、わ...(2018年9月16日 文化財課)
-
大和川の付け替え工事 元禄16年(1703)10月28日、大和川の付け替えが正式に発表され、普請奉行として大久保甚兵衛忠香と伏見主水為信、助役とし...(2018年9月7日 文化財課)
-
平成30年8月13日、国際かんがい排水委員会による第69回国際執行理事会において「大和川分水築留掛かり(やまとがわぶんすいつきどめかかり)」が世界かんが...(2018年8月15日 文化財課)
-
亀瀬新道 江戸時代に、大阪方面から奈良街道を奈良へ向かうと、国豊橋のところで大和川を右岸から左岸へ渡らなければなりません。そこから東へ進むと、芝山...(2018年8月13日 文化財課)
-
国豊橋と新大和橋 明治になると、道路や鉄道などの交通も次第に整備されるようになりました。大阪から奈良へと向かう亀瀬越奈良街道の高井田村と国分村のあ...(2018年8月7日 文化財課)
-
太陽暦の採用 太陽の動きを基準とする暦を太陽暦といいます。現在の暦は太陽暦ですが、日本では、明治5年(1872)まで天保暦とよばれる太陰太陽暦を使...(2018年7月30日 文化財課)
-
神仏分離令 日本では奈良時代から神仏習合として、神道と仏教は混然としていました。仏像を祀っている神社や、神社境内に神宮寺があるところもたくさんあり...(2018年7月24日 文化財課)
-
最後の一揆 幕末の混乱は、国分村にも少なからぬ影響を与えました。慶応2年(1866)、河内で最後の一揆といわれる騒動が起こりました。米価の高騰に困...(2018年7月15日 文化財課)
-
当館が所蔵する実物資料や写真資料の貸出、資料の撮影などには、申請書が必要となります。申請書に必要事項を記入、捺印の上、郵送または歴史資料館の窓口まで持参...(2018年7月10日 文化財課)