文化財課
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業務内容
- 文化財の調査及び保存に関すること。
- 指定文化財の管理及び指導に関すること。
- 文化財の愛護の推進啓発に関すること。
- 歴史資料館に関すること。
新着情報一覧
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一系列か複数系列か 玉手山古墳群の分布図を見ていると、1~4号墳、5~7号墳、8~10号墳の三つくらいのグループに分けることができるように見えます...(2016年5月30日 文化財課)
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田輪樋 国分村の北を流れる大和川は、芝山を迂回して大きく北へ湾曲しています。当然ながら、芝山の南側の堤防への水当たりが強くなり、芝山の南側は古くか...(2016年5月23日 文化財課)
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玉手山古墳群の年代 近年は埴輪の研究が進み、ある程度の量の埴輪が確認できれば、おおよその年代がわかるようになりました。古墳の場合、埋葬施設が未調査...(2016年5月23日 文化財課)
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玉手山古墳群の範囲 玉手山丘陵に展開する玉手山古墳群ですが、その範囲をどこまでと考えればいいのでしょう。一般には、北端の玉手山1号墳から南は駒ヶ谷...(2016年5月16日 文化財課)
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祭りで暴れる若者 国分村の人が、町奉行に申し出た一通の嘆願書があります。差出人は、定四郎が幼少のため代理として周助という人物によるものとなっていま...(2016年5月16日 文化財課)
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柏原市では、柏原市立歴史資料館及び史跡高井田横穴公園の円滑な運営と効率的な活用を図り、郷土の文化的遺産を広く公共の利用に供し、市民の教育文化の向上に資す...(2016年5月11日 文化財課)
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夏祭りをしたい! 天保2年(1831)に、木屋徳右衛門から預かったという冊子があり、そこにおもしろい話が書かれています。村の若者がこれまでなかった...(2016年5月6日 文化財課)
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玉手山古墳群とは? 柏原市の南西部に、南北に長くのびる玉手山丘陵があります。西を流れる石川と平行し、北は大和川と石川の合流点近くで終わります。東は...(2016年5月6日 文化財課)
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村人の生活 みなさんがもっとも知りたいのは、江戸時代の村人がどんな生活をしていたのか、ということだと思います。しかし、それを知ることのできる史料は...(2016年4月27日 文化財課)
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河内国分寺はどこに? 河内国分寺(かわちこくぶんじ)があったので国分(こくぶ)という。それは昔から語り継がれて、江戸時代の人たちも知っていたようで...(2016年4月19日 文化財課)
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国分村の人口など 国分村を治めていた領主は、江戸時代のはじめには幕府領と大坂城代や京都所司代の支配を繰り返していました。たとえば、寛永8年(163...(2016年4月11日 文化財課)
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国分村の交通 国分村の中心部を東西に奈良街道が通っていました。江戸時代になると、この奈良街道に沿って、村は東西にのびていきました。奈良街道は大和街...(2016年4月4日 文化財課)
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国分村の位置 平成28年3月26日からの春季企画展では、江戸時代の国分村を紹介します。これまで、あまり知られていなかった国分村の江戸時代を中心とす...(2016年3月27日 文化財課)
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ひな祭りの風習 みなさんのお宅では、ひな人形を飾っておられるでしょうか。今でも女の子のいる家では、小さくても飾っている家が多いのではないでしょうか...(2016年3月22日 文化財課)
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ひな道具 もともとは家庭で手づくりでつくられていたひな人形ですが、江戸時代の初め(400年前)から商品として売られるようになりました。最初のころは...(2016年3月17日 文化財課)
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ひな道具 ひな人形とともに飾られる小さな道具類を「ひな道具」といいます。もともと、ひな人形は人形遊びに始まり、ままごと遊びのようなことをしていまし...(2016年3月9日 文化財課)
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市内の施設や公園などの場所が簡単にわかる「柏原マップ」に、「文化財」の項目を新たに追加しました。 市内各所にあるさまざまな文化財のうち、今回追加した...(2016年3月4日 文化財課)
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御殿びなと家形埴輪 明治以降、御殿びなから段飾りが主流になっていったのですが、御殿びなは、その後も作り続けられています。柏原市立歴史資料館の御殿び...(2016年3月1日 文化財課)
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上方と江戸のひな人形 これまで紹介してきたように、京都の有職びなと江戸の古今びな、京都の隋身・三人官女と江戸の五人囃子などのように、京都と江戸のひ...(2016年2月24日 文化財課)
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ひな人形の飾り方 江戸時代の初めごろから、男女一対のひな人形が定着していきました。これを「内裏びな」といいます。男の人形を男(お)びな、女の人形を...(2016年2月16日 文化財課)
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秋季企画展「大和川のつけかえ」の来館児童 5年連続で最多記録を更新(2014/12/26) 特集展示は「わたしの宝物」 市民製作の模...(2016年2月12日 文化財課)
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いろいろなひな人形 みなさんは、「次郎左衛門(じろうざえもん)びな」をご存知でしょうか。丸顔に細い目という独特の表情をもち、なんとも愛くるしいひな...(2016年2月7日 文化財課)
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寛永びなから享保びな、そして古今びなへ ひな人形は、大きな流れとして、寛永びなから享保びな、古今びなへと変化しました。しかし、寛永びなが寛永年間(...(2016年1月26日 文化財課)
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ひひな遊びからひな人形へ 女の子のお人形遊びと上巳の祓(じょうしのはらえ)が結びついて、ひな人形が誕生したのですが、初めのころのひな人形はどんな人...(2016年1月18日 文化財課)
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ひなまつりのはじまり 古くから、中国では罪や穢れ、災いなどを川に流す行事がありました。これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」といいました。旧暦では...(2016年1月10日 文化財課)
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毎日1万人の人が 大和川のつけかえ工事に従事した人々の正確な人数はわかりませんが、見積りでのべ約240万人、実際にはもう少し多く、270~280万...(2015年10月19日 文化財課)
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大きかった右岸堤防 堤防の裾の部分を「根置(ねおき)」といい、上の平らな部分を「馬踏(ばふみ)」といいました。馬が踏んで歩くところだから「馬踏」で...(2015年10月5日 文化財課)